「病は気から」を考えるワタシの記【き】

グーグルさんに伺ってみたところ、
記【き】
って文字の意味は、

①かきつける。しるす。
②心に印象をとどめる。おぼえる。

ってことでした。、

ふむふむ。
なるほど。
と思うのは、
①の方は見えるもので、
②の方は見えないもの。
どっちも記【き】なんだな。
って
教えてくれました。

49歳にして医療の専門学校に通い、
娘と歳が変わらない女の子の隣に座り、
その子の消しゴムが知らぬ間に
その子の消しゴム丸ごとが自分の机に侵入してきちゃってるってのは
消しゴムを擬人化させて
オレに、し、し、侵入しようとしてるってことかも?
なんてチラッと思ったりするのが嘘ではない
気持ち悪いオッサンであるワタシは
去年の春に正規に学校に侵入しまして
医療を勉強しています。

病は気【き】から。

そんな慣用句が医療を学ぶものとして
ちょっと言いづらかったりする立場にもなったんで、

病は記【き】から。

って言い換えたりするのも、
上手いこと言ってる感じがして、
良いかな。
なんて思ったりしてます。


医療が病ってのに面と向かいあって
患者さんと協力しながら
なんとかしようぜってものなら、
見えるものと、
見えないものの、
両輪っていうんですかね。

合わせてるわけじゃないのだけど、
競い合ってぶつかったり
そのエネルギーが重なる衝撃がさらなるエネルギーを生んで、
共に前に進むみたいな両輪。

王さんと長嶋さんとか
浅田真央ちゃんとキムヨナさんとか、
猪木と馬場とか、
アントニオとジャイアントとか
新日本と全日本とか、

チームは一緒でもとか、
国は違ってもとか、
団体とか会社とかを越えて、

仲間なのかライバルなのか。
切磋で琢磨して前に進む。
みたいな両輪が

医療にもあるんだ。
ってのを

これはグーグルさんじゃなく
学校で教わりました。


EBMってのと、
NBMってのの、
両輪。

字面が似てるのだと
IBM。
こちらは有名っすよね。
あちらの会社は
ーインターナショナル
ービジネス
ーマシーンズ
なんか、カッコいいですけど、
wish!ってやるオトコ前の人のセンスと基本は同じ。

EBMは
ーエビデンス
ーベースド
ーメディスン
ってことでして、

もう一回、千鳥のノブじゃない方のwish!の人に日本語で言ってもらうなら
KMI
ー科学的根拠に
ー基づく
ー医療
ってことなんです。

戻しますけど。
EBMなる概念で馴染みが深いのは
病院での検査ですよね。
血液とか尿とか今の今のPCR検査だったら遺伝子とか、
X線とかCTとかMRIとかの画像検査とか。
今じゃ当たり前すぎる検査ですけど、
それはそれはとんでもない進化を遂げてて、
それはそれはとんでもない人の汗も涙も血も流されてのストーリーがあって、
見えなかったものが見えるようになった。
その産物は、
世界の無限に近い無数の痛みの呪縛から解放させたり、
症状を改善して、
多くの命が救われてきたし、
これからの新たなるストーリー展開による
進化への期待は大きい。

ワタシが通う専門学校は
鍼灸あん摩マッサージ指圧を学び、
東洋医学の術者を養成するところなのですが
思いのほか、
解剖学とか生理学とか病理学とかって、
西洋医学が主体だったりするんです。
ある意味では世界の医療の主体が西洋医学であり
EBMだからだと言えると思います。

学んでる実感なんですけど、
人体ってちょっと信じられないような
神秘的なものでもありつつ、
一歩一歩と科学的に証明されてきた事実に基づいて、
驚くべき合理的な生命体なんだ。
ってことを教えてくれる西洋医学の見地ってのは、
めちゃめちゃ興味深い。
ただ、それを
ちゃんと理解しろとする学び。
それら全部を脳みそとかカラダに
叩き込めってのはオッサンにはなかなかに酷で
めげそうになる時もないことはなくて、
重いっちゃ重いわけです。

その重みをより重くさせる西洋医学の分厚い教科書だったり、
教えてくれる先生の話だったりは

「はー。。スッゲーな。人体は。」
「え?そんなことなってんの??」
「神様って人、いてもおかしくないな。」
なんてほぼ毎日のように驚きに溢れてまくっていて、
そもそも重いもの抱えてるから、
大声で言うと、より重くなるのはわかってるから、
小声で言うと、
おもしろいんです。

「おもしろい」のは、解明されてるとこで、
ちょっと似てるんですけどニュアンスが違う
「興味深い」って方は、
教科書にこんな言葉で締め括られる文章のところ。

「だと言われている。」
「という説もある。」
「原因はわかっていない。」

ま、一応最新の教科書ですから、
そこが現実なんですよね。
わからない。って言っちゃうからには、
わかるための研究がされまくっているのだろうということも
想像できる。
それで、
わからない。のですから。
悲しいけど、
わからない。のだろうって。

まさかこれで
西洋医学がダメとか、
科学的根拠っても限界ありありじゃん。
とか、ケチをつけたいなんて微塵の微も塵もない。
「わかんないこと多いんだな。」
「そりゃ、治らないって病があるわけだわな。」
「だから、わかることがこれから出てくる。」
「治らないものが、治る。」
って現実なんだと思うと
より学びに前のめりになっちゃう自分がいたりするくらいで、
病で痛いとか辛いとか悲しいとかって抱えてる人たちがいて、
それが無くなってくれることを誰もが願ってるから、
微塵の逆の言葉で上手いこと表現したいんですけど、

すげぇ、
でかい。

万能じゃないとする
でかい現実はある意味で
ワタシの病も説明してくれてるようで、
興味深いんです。


ワタシは10年前に病で片目の視力を失って
残りの目は視力を残すために10年で3度の改造手術を行なって
視力は弱まりつつあるけど残してる。
ただ、病の性質上は良くなることはなくて、
失ってしまう可能性と勝負してた。

でも、もう勝負とかってやめよ。
この病と付き合ってこ。
って決めて、

若造んときから世話になり、
いつしか経営者という役割になってた会社を
辞めました。
辞めさせてもらいました。

病と付き合う。
っていうワタシの未来の物語は
東洋医学という知識と技術でもって、
前職のように全国って範囲の少し遠目のお客さんとの関わりから
生まれて育って家を建て家族もある
地元の近い患者さんに
治療家として関わり合う役割がしたい。
というあらすじを頭に記してみたら
悪くないな。
って思えたからでした。

ワタシの病は緑内障という病で、
日本人の失明原因で最も多いのだそう。
これ、
原因はわかりません。
見えなくなってしまう機序はわかってる。
でも、その機序の入り口がわかんない。

人間は猿だった。
その陸に上がってくる前は魚。
その前は海の微生物みたいなの?
その前は藻らしいよ。
ってザックリにも程がある人類というか生命の誕生の歴史。
でも
その、
いっちばん初めの初めに
生命。
ってのが藻でもなんでもいいのですけど、
その藻。
どこから来た?
その前は?

湧いた?
降ってきた?
連れてきた??
って誰が?

って、やっぱりわかんない。

病ってのも、そうなんだと思うんです。
原因の原因ってのを
マトリョーシカみたいに
パカパカ開けてって、
1μm【マイクロメートル】って1mmの
1000分の1なんですけど、
今の技術は、
1μmのマトリョーシカだって開けちゃう。
で、まだいる。
お、まだいる。
ってことだって出来る。

でも、残念ながら
今は、

わからない。


そんな今が動いてる中で
EBMの仲間なのかライバルなのかを
授業で教わったのが。

NBMなんです。

ーナラティブ
ーベースド
ーメディスン

エビデンスのところがナラティブってのに変わる。

この奈良県の健康促進PRでイメージコピーにでも使えそうな、
ナラティブ。
英語は得意じゃないんですけど

物語。

って意味なんですって。
物語を基にした医療なんだよ。
って概念であり手法なんです。

ま、今回も一応、
メンタリストじゃない方のwish!の人に言ってもらうと、
MMI。
ー物語を
ー基にした
ー医療

これ、なんか入ったんです。
ワタシん中に。
ちゃんと入った。
脳じゃなくてココロに。
東洋医学を施すために西洋医学の基礎をガリガリ学んでるワタシってのが
冬季五輪のあのカーリングのサークルなら、
NBMって名称らしい
カーリングのあの重そうなストーンが、
ストーンって。

入った。

スンマセン。

スッと。
ってのが本当です。

西洋医学のEBMが医療の中心であるのは間違いがない。
でも、限界というか未知なところは多いのも、
間違いじゃない。
だから、こんな病では?って仮説を立てて検査をしてみても、
検査結果には出ない。
なんてことが、
ある。

なので、
お医者さんから。
「んー。。異常はないんだよねぇ。」
って言われた人たちが、

異常がなくなんかないから
ワラをもすがっても切れちゃうけど、
ヒモだと思って掴んでみたのが
もし、それが
ナワだったりすれば、
痛みのない世界に引っ張り上げてもらえるかも。
って
あわよくばなのか、もうどうにもって期待をして、
やってこられるのが、
東洋医学って医療の一面でもあると思うんです。

学べば学ぶほど、
それらの知識と技術を用いて
ワタシはどうやって、
誰かの役に立つのか?
立てるのか?
って重い荷物を自分にぶん投げて
ヨロヨロしてる時に

ナラティブか。
ん、
物語か。
ってフレーズは、

入った。

スッと、
入った気【き】がして
背筋が伸びた。


病は気から。
って、
聞いたことも、誰かに言ったこともある気がします。
だだ、
気【き】ってのを1人っきりにさせると、
その文字の佇まいからして、どうも胡散臭いというか、
なんでも任しとけ。
オレが握ってんだから。
みたいな横柄さも感じるんで、
どうも気に食わない。

でも、
気【き】は中国の出身なんでしょうけど、
日本人に日本語に完全に侵入している。
知らないうちに、とっても沢山使ってて、
どっても仲良くしている。

私が気のことを表現するのに
「気に食わない」
って使っちゃてるみたいに
なんの気なしに使ってる。
って言葉の中の、
「なんの気なしに」
って気づかないうちに使ってる。
「気づかない」
って、、、

逃げきれないし、
逃げようとも思わないし、
いないと困る。

気が合う。
気にいる。
気持ちいい。
気が利く。
気をよくする。
気が気でない。みたいな双子とかもいるし、
気が乗っちゃったり、
気が昂っちゃったり

病がやってくると、

気に入らないし、
気が落ちたり、
気が滅入ったりすると
気が気じゃなくて、って双子また出てきたりすると、
気が抜けたり、
気が遠くなっちゃったりもする。

こうして気を1人っきりにしないで、
何かの言葉をつけてあげると
その人の物語を表現してくれる。
目には見えない気とやらが、
いったいどうなってる?
っていう、
その気の動きこそが
物語そのもので、
その物語を基にした医療ってのは

物語に寄り添ってあげる。
ってことなんじゃないか。
それが、
薬になり、
ある時にはメスにもなるんじゃないか。

逆に

気にして
もらえなかったり、
気づいて
もらえなかったりするから、

悲しい。

だから、
①かきつける。しるす。
②心に印象をとどめる。おぼえる。

ために、
記【き】というコミュニケーションの道具を使って
寄り添いたい。

患者さんの物語に。


アントニオ猪木と、
ジャイアント馬場は
袂を分けたけれども、
あの2人の切磋で琢磨は日本におけるプロレスを確立した。
今、それを引き継ぐ新たな世代は、
世界に誇るプロレスを創造して、
世界のプロレスファンに称賛されている。

ワタシはバリバリの猪木派で、
ジャイアントさんの否定派でした。
小学生のアホなワタシは馬場と猪木が両輪だなんで、
思いも考えもしなかった。
彼の物語とファイトスタイルに惚れ惚れした
猪木だけに燃えてた。

50歳にならんとする今は、
亡くなられた馬場さんというドでかい車輪が
猪木の横でグリングリンって回ってたことがわかる。
ただ足を上げてるだけじゃん。
って思ってた16文キックの威力は
対戦相手へのただの衝撃だけじゃなくて
誰にも絶対に真似の出来ない
ジャイアントな馬場さんにしか出来ない
技の
衝撃。

あんなにもファイトスタイルが違うからこそ、
自分の優位なところを活かして、
まさに切磋で琢磨したんだろう。
なんて思うとですね、
いいもの観せてもらってたなぁって
つくづく思います。


患者さんだけに限らずで、
世の中ってのは、わかってるようで、
わかってないことばっかりで、
何でもわかったようにしてると
誰かの痛みを増幅させたり、さらに傷つけたりしてしまう。

誰かの過去は今に繋がってて、
今のそれを読み解くのはエビデンスとともに、
その人のナラティブなる物語にヒント
が隠れてる。

それが、
両輪だったら
死ぬまでカラダは変化し続けるけど、
何歳なっても、
病気なっても
元気は見つけられる。

見つけてあげられるんじゃないか。

見つけてあげたい。

それが医療の役割なのかも知れない。
なんて思うと、
前職の29年間で培ったワタシの経験だって
医療の役に立つんだって気もしなくない。
ワタシなりの、
16文キックがありそうだ。
なんて、思います。

テレビに向かって吠えて燃えてた
ワタシと猪木さんにも敬意を表すなら、
延髄斬りにするか、
コブラツイストか?

や、
一本足打法?

いやいや、
トリプルアクセルか?

ま、どれにしても、

ワタシのそんなでこんなで
アレやでコレやの
気【き】を、

今日のここから未来のワタシに
記【き】として
残しておきます。


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