【響灘の記録2】
2011年 響灘の岩で登った際の回想録、そしてその後のはなし。
2章 リヴァイアサン
アップでいくつかの壁や小岩を登り、この地の岩質はわかった。見た目はとても脆そうに見えるが辛うじて許容範囲内。
やるしかない。問題は表面にこびり付いた砂ないし塩…それがとてもよく滑る。
リスクのない範囲でメインとなるハイボールのルーフを攻める。
一番良いラインはまだ手付かずとのことで、アップで触ったどの岩よりも砂っぽかった。
砂っぽいホールドを握ると突然のスリップする。スリップに…そして万が一のホールド欠損に備えたい。
本来、ルーフを登るときは身体を安定させるためにトゥフックやヒールフック、ピンチフックやキョンなどのフットワークに頼るが今回はそれらの使用を避けた。
フットワークに頼り下半身がロックされた状態をつくると、指先がスリップした際頭から落ちるリスクを負う。
中間部はひたすらキャンパスでこなした。
後半、リップへの一手が遠い。そこだけは仕方なく足を置く。1便目はビビってしまい手を出せず。落下に備えるべく、マット位置を整え2便目。
無事に成功。リップを捉えた。リップをマッチし上を見上げる。長くて脆そうなフェイスが広がる。
これ以上はない。降りる。岩登りとしては微妙な判断だけど、一つのボルダリング課題として、キリの良いリップゴールで完結することにした。「リヴァイアサン ungraded」
動画撮影用にもう一度登り、この壁の登攀を終えた。
3章 浜の風
当時の私にとって、かなりメンタルダメージの深いクライミングを終えた。
その後は脇の小壁で普通のボルダリングを楽しむ。広大な海、長閑な浜、吹き抜ける風、共に過ごす先駆者や仲間らとの会話、全てが心地良かった。
このひと時を大切に想い、小壁で一番難しいラインを「浜の風 」とした。
2020年現在、内容は全く覚えていないけど、少しでも多くの人に楽しんでもらえるよう、小壁のグレーディングは少し甘めにしたのを覚えている。
4章 その後
数年後、リヴァイアサンはボルトが打たれリードルートになった。ボルダリングとしてあの壁をやるより、ボルトで守られた状態で壁の上まで突き抜けた方が「明らかに」自然な流れといえるだろう。ボルトに守られたクライミングで豪快にルーフを抜ける。一旦はそれなりに人を呼んだようだ。
さらに数年後、ボルトによる整備はストップ。事情があるようなので仕方ないと思う。
むしろマット自体が進化した今なら、むしろボルダリングは旬かもしれない(ただ、独特なこの岩質はとてもボルダリング向きとは言い難い)
2020年、この忘却の地をsnsで見た。
自力で発見したのだろうか。世の中には私以上の変人がざらにいるものだ。
色々とリスクある岩、メジャーになってほしくはないけれどこの先もうっすらと忘れ去られず在り続けてほしい。
2011年3月 響灘登攀記録原文リンク
2011年時動画
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