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渡されたボールに高校野球の3年間が報われた

#部活の思い出

こんばんは。

本日は私の部活の思い出に関して投稿します。

高校時代は野球部に所属しました。強豪校というわけでもなく地区予選も1回戦で敗退するようなチームでした。私がこの高校を選んだのが中学3年の部活動見学でお会いした監督の下で野球がしたかったのが高校を選んだ理由でした。

1年生の夏、地方予選が始まるメンバー発表。私はその20名の中に選ばれました。選ばれた理由は覚えていませんが、私の部活中の行動を評価してくれたんだと思います。

先輩方の奮闘もあり、初戦突破。初めての高校野球で、初めての勝利後の校歌斉唱。あの時の興奮は忘れられません。2回戦は惜しくも強豪私立校に敗戦。初めての夏は先輩方のおかげで経験できた夏でした。

3年生が引退してからメンバーが11人しかいない状況でしたが、練習試合にも出るようになって徐々に体力もついてきた頃でした。

私が尊敬し、追いかけてきた監督の異動。教室にメンバーが集められ監督が私たちの前で深々と頭を下げる姿。冗談であってほしいとそう思いたかった。

頭が真っ白になりました。

後日、監督が自宅まで赴き私に直接謝罪をしてきました。当時、監督がどれほどの想いで異動の話を切り出したのか伝わりました。

「断腸の思いです。」なんて、まだ高校1年生の私にはそこまで言ってもらえるほど監督に貢献できたわけではないのに。

2年生になってから後輩ができ、おのずと先輩としてしっかりしないといけない学年になりました。試合でもスタメンで出場する機会が増え、より練習に身が入りました。

2年生夏、ケガでレギュラーではなかったもののベンチ入り。しかし、1回戦で敗退。

部活の最上級生となった秋からキャッチャーの正ポジションで練習と試合を繰り返した。最後の夏に向けて冬場は走った、チームの誰よりも走った。

ケガもあったが、初めてやるキャッチャーというポジションに苦労もあったしなんでやっているんだろうと思うときが多々あった。

3年生の夏、キャッチャーのレギュラーとしてグラウンドに立った。結果は13対1のコールド負け。ホームランは打たれたし、ヒットも打てなかった。盗塁も刺せなかった。唯一、ボールに飛びついてキャッチしたくらい。

あっという間に負けてしまったので悔しくはなかった。

試合終了後、主審をされていた方に手招きされた。そして何かを渡してきたのでとっさに手を出すと、試合で使用したボールだった。

渡されたときはどうしてかわからなかったが、主審の方は「お疲れ様。」とだけ言って控室に戻っていった。

自然と目頭が熱くなりました。勝利のボールではないけれど、私にとってどんなボールよりも価値あるボールになりました。

思い返してみて

高校野球の3年間は、まさに波乱万丈でした。もともとは尊敬をしていた監督の下で野球をしたかったのに1年目で異動。2,3年はケガと向き合いながら野球をした。誰よりも声を出し、誰よりも先にグラウンドに出て準備をした。疲れてご飯を食べている最中に寝ていたことも多くあった。練習に行きたくないこともあった。それでも必死にボールを追いかけて、血だらけになりながらもバットを振った。楽しいより辛いことの方が多かったのは確かですが、最後の夏にボールを渡されたのが私の3年間の努力の成果として表れたのかなと思います。

この3年間は忘れることのできない3年間でした。

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