確率と期待値で考えてみる


確率と期待値で考えることに多くの時間を使ってきました。

麻雀は10,000時間以上。プレイ人口の中では上位1%内だと思います。
競馬にハマったこともありました。
金融商品ではオプションが好き。

これらは確率と期待値で考えないとどうしようもないものです。大切なのは1回1回の結果ではなくて、期待値的に有利な選択を取り続けることです。

勝負事だけでなく、何かを判断して選択するにあたって確率と期待値を考えることが有用であることが多いように思えてその癖がついています。なお人は1日に9000回の決断(選択)をしているといいます。

今日の自分のtwitterのTLから強めの違和感を覚えたケースを拾って思考の流れを紹介してみます。

ここでは期待値は得られる成果又は蒙る損害を確率で重み付けした「加重平均」を指しています。


ケース① 
勉強する意味はあるのか?

高校生ですが、労働300時間で手取り23万で食費4万は贅沢とか、私はもっと大変な生活送ってるとか言われたらそんな未来が待ってるのに今こんなに頑張って勉強してる意味があるのか全然分からないし、これ以上歳をとって大人になりたくない。

確率的・期待値的な考え方
勉強が結果的に成果に結びつくかどうかは確定的には分からない。分からないけれども、頑張って勉強した方が、しないよりも、大変な生活を送ることになる確率は低くなるだろう。ということは間違いないだろう。できることをやるしかない。
日本でできることをしても期待値が低すぎると考えられるなら、日本国外で期待値を高められる国・地域に生活を移すのがいいだろう。本当にそういえるのかどうかは、広く情報を集めて考えたほうが良さそう。


ケース② 
自衛隊イベント中止の書き込みとその批判をどう考えるか?

産経ニュースのツイッターアカウントより引用)

確率的・期待値的な考え方
「朗報」とした書き込みとその「批判や疑問」は、将来どのような出来事が起きる確率を高めた又は低めたことを指しているのか分からない。

自分の推測では女性団体は「自衛隊の活動に関する知識が国民に周知され国民の軍事に関する関心が増すことで戦争が発生する可能性を高める」と評価していると仮定すれば主張や活動が首尾一貫するように考えられる。
しかしそのような評価はデータ的に裏付けられるものなのだろうか。
イベントの中止は戦争が起きなかったとき又は起きたときの自衛隊の士気に影響する確率やその損失の期待値とのバランスは取れているのだろうか。


また「批判や疑問」は信義又は道徳に基づく主張に思えるがそれでは女性団体の評価とはかみ合わないのではないか。


どうでしょうか。
頭の中で起こったことを放り出した程度なので非常におおざっぱですが、何となく%と数字のイメージに結び付けようとしているのが伝われば幸いです。

確率と期待値で考える考え方は、精神的にプラスになったり、事実と価値を分けやすくなるなどのメリットもあると思っているところです。今回はとりあえずの導入として反応があるようなら深堀りしてみることも考えます。




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