人間嫌い
私は人間が嫌いだ。
それに気づいたのは小学校5年の時。
気づいた、というか「嫌ってもいいんだ」と。
そもそも両親とも友達がいない人だと思う。
父は人付き合いは下手だし、母は典型的な人間嫌いで人と関わるのが煩わしい、というタイプで、おそらく二人とも人に心を開けないコミュ障。
そんなこともあってか、私も弟も同じ。
ただ、私は音楽活動のおかげで苦手な人間付き合いも不可避なわけで、家族の中でも一番人と関わってるし、なんなら一般的にも平均以上に沢山の人と関わる生活はしていると思う(ライブ活動も広範囲なので)
でも依存はしていない。
母は子供に依存する人で、いまだに子供への干渉が多い。
まあ、人間嫌いでなるべく人と関わりたくない、って人が子供を持つとだいたいそうなる気はする。
どんなに人間が嫌いでも結局心の拠り所は人間なので。
かつては私も母によく似て、母親と恋人にばかり依存していた
母とは共依存だったのだろう。それでよかった、という感じだった。
しかしかつての恋人達とは常に苦しかった
色々と痛い目を見たせいかそのあたりはうまく考えてやり過ごせるようになってきた
人を遠ざける人ほど特定の人に依存しやすい。
今は沢山の人と関わってるおかげで分散できているし、その方が平和でいられると気づけている。
今の恋人も私とよく似た人間嫌いだ。
いい男なのでモテるんだけど(汗)ガードが硬いおかげで安心できている(笑)
人間嫌いにも色々なタイプがいるなーと思うんだけど、共通してるのはみんな寂しがりですね。
私は人間は嫌い
こんな愚かな生き物は滅ぶべき、くらいに思ってたりする(笑)
だけど、好きな人間は沢山いるし、恋人を始め、信頼のおける仲間はたくさんいる
おそらく私と母の違いは、「人間嫌い」と「人間不信」なんだろうと思う。
私も本当に心を開いているのは恋人だけではあるけど、距離感などの相性の良い人の事は「信頼」して接する事はできる
母は、子どものこと、家族のことも信頼しない。
必ず疑い、干渉してくる。心配や干渉は「疑い」だ
人間嫌いでも人生は上手くいく。信頼さえできれば
でも、「人間不信」は生きづらいかもなあ。
かつて、恋人に依存していた自分は、恋人を「信頼」はせずにいつも不安を抱えて干渉していたと思う
「いつも一緒にいたい」などと愛のような言葉で縛りつけたかったのだろうなと。(お互いだったけど)
「疑いながらしがみつく」
のが、人間不信なんだろうか。
おそらく人間が嫌いでも、「信頼」の重要性が理解できていれば生きづらさはなくなる
と、思う(笑)
相変わらず人間はめんどくさいし嫌いだ
でも好きな人も信頼する人もいる
改めて自分の半生を振り返ると、ずいぶん生きやすくなったなあと思うのはやっぱり「信頼」を知ったからかもなあ。
落とし所は難しいけど終わります(笑)
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