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【音楽に国境はある】

だからこそ人は、音楽は国境を超える、という言葉を肯定的な意味で使う。

いま私は、音楽は国境を超えなくていいかもな、と考えている。

国境は、文化の違いを分かりやすくした象徴のようにも思えるが、人間が便宜上引いた架空の線に過ぎないという見方もある。国境の定義は複雑で多様だ。ここで私は前者の文化象徴的意味で国境という言葉を使いたい。

音楽(の力)によって、その国境なるものを超えるのではなく、人間の価値の中にはどうしても拭えない「国境」が厳然としてあることを知り、知った上で、相手の違いをリスペクトする。リスペクトし合う。超えない。そうしながら、音楽を新たにつくる。

それが、私がやりたいと思う異文化音楽コミュニケーションのかたち。日本語を話す日本人同士だったとしても、二人は決定的に異文化だもの。
文化の違いと国境の区分けはイコールではない。違うことは、音楽をつくることにおいては悪いことじゃないし嫌なことでもない。むしろ逆。

音楽に国境はある。厳然たる違いが、裂け目のように二人の間に横たわっていることもある。それでも、二人の喜びポイントは何だ?何処だ?と考え感じながらともに音楽をつくる。

私はそのことに、そしてその先に、本当の喜びが見える。
いや、そこから生まれる喜びのためにしか音楽をやっていない、と言っても良いほどに。

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#わたしが私として生きるためのエッセイ
#息をするように音楽をする
#日常は日常のままで別次元
#fujisakihirokazu

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