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積読の是非について 私の意見 積読の行き着く先とは?

積読の是非についてTwitter上で議論が起こったみたいなので私の意見を書いてみます。本を買って読まずに積んでおくのが良くないことだという意見は尤もなんですがエッセイやライトノベルなら「読んでから次」が確かにできる。しかしこれが難しい古典や哲学になるとそんなわけにいかなくなる。

難しい本に向き合うのは時間と根気が要ります。読んでる間に断念して別方向に行きまた戻ってきたり全く関係ない本を読んでたらその難しかった本のヒントになったり。そんな寄り道と引き返しの繰り返しです。その間に中途半端に読みかけの本が溜まってきたりもする。

あっちをパラパラこっちをパラパラ。もう中途半端積読の限りを尽くしてきたというのが自分の読書遍歴。しかしその積読をやっていると全く別次元の新たな問題が浮上してきます。本をどこに置くかという問題です。積読それは自分の本棚をどこに起きどう作るかという新たなステージへと向かうのです。

「そんなに本がたまったら売りに行けばいいじゃん」と言うのは本好き人間の気持ちがわからない人の言葉。本好き人間は、自分の手元にあるのがたまらなく良いのです。「読まない、読み切らない本を手元に置くの?」切手好きな人は使う使わないでなく切手がそこにあるのが幸せ。あれと同じ理屈。

かくして積読して行った本は、本棚の設置という新たな問題を生み出し、それは自分の生活空間の中で本をどう扱って保管していくかというテーマになってくる。積読とは本好きの為す行為であり「読む・読まない」の二元的な考え方で収まらないものでもあると思います。その本棚に本を入れて並べながら、「あ!そうか!そういう関係か?!」と気づくこともある。本棚を持つというこのは本の分類というテーマにもぶち当たるからです。というわけで積読の是非についてですが、ボクは積読大いに結構。その積んだ本でどんな本棚、どんな書斎を作る?というところまで話がしたいなと思う次第です。


積読の行き着く先。

それは私の本棚、私の書斎、私にとっての本の空間の問題。

そして、それらをクリアしていった先に、確かな自分の読書人生というものが見えてくるのではないでしょうか。

#読書 #積読 #香川県

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