結果ではなくプロセスを追う。知と経験の体系化こそが最も大事

インターネットの時代になって、音楽をダウンロードすればいい、本もネットで読めばいいという具合になりました。その方がお金かからないし場所も取らないし無駄がない。

音楽を聴く際にも特にアーティスト名や曲名を知ることもなくその場の雰囲気やその場の気分で好きな曲だけチョイスして聞く。そんなことができる時代になりました。とても便利で良いと思います。

ただ、自分はあまりそういうことはしません。その時の気分でネットで曲を聴いて誰の曲かわからないまま音楽だけ消費して終わる。そんな消費スタイルは取らないように心がけてます。自分が昔のレコードの方が好きだからとか昔の楽しみ方に愛着があるとか、そういう理由ではありません。最先端のテクノ、エレクトロミュージックだって聞くしインターネットという文化は大好きだし。ジャズ好きな頑固親父がレコード以外認めないとかそういうタイプでは自分はありません。

自分が触れるもの、楽しむもの、利用するもの。それについてはなるべく体系的な成り立ちを知っておこう、それが成り立ったプロセスを知っておこう。そんな態度で生活するようにしています。


インターネット社会はとても便利なので結果だけをチョイスすることができます。自由にチョイスすることができます。いろいろなサービスやいろいろなものを手軽に簡単に手に入れることができます。

しかし。

その便利さに慣れてしまうというのは危険も伴うと思ってます。どんな危険かというと認識する力。そこが抜け落ちるのではないかと。そんな危惧を持っています。

投資やFXに例えてみましょう。このソフトをインストールしたらむちゃくちゃ儲かるよ、これがその結果だよ、と実績の数字を見せられる。すごい、これをインストールしたらそんな儲けが出るのか。簡単に買ってしまいそうです。たとえそれが80万円したとしても。

その儲かるソフトはトレンド追従型?それともレンジ相場型?損切りはどのような設定?レバレッジは?ポジションはどれだけ持つの?買いだけ?それとも売りも取る?

確認事項は山ほどあるはずです。


投資やFXを実体験すること、あるいは試行錯誤、あるいは自分自身で結果を見つけていく作業。そのプロセスは大変苦しいものです。そんなことしなくたってもっと便利なものがあるじゃないか、AIの自動売買や、簡単に儲かるツール。それを選べばいいじゃないかと言われるかもしれません。しかし自分はその苦しいプロセスを踏んだとしても、その経験やプロセスは非常に価値があるのではないかと考えます。

2年前から始めたドル円の自動売買が大変な儲けが出るらしい。その自動売買を勧められたから買ってみようかと言う人がいました。その話を聞いて自分は直感的に思いました。それってこの2年間のドル円だから儲かったんじゃないの?単にロングのナンピンするだけじゃないの?ドル円のこの4年間はそんなシステムにぴったりの4年間だった。しかし今後の4年間はわからない。

やめといたほうがいい。

その知人にはそう言って反対しました。そしたら2020年3月、今月ですが、その儲かってたはずの自動売買で大損が出たらしいのです。やっぱり、ただのナンピンシステムだと思いました。

便利な結果だけに飛びつくのではなく、そこに至るプロセスをきちんと必ず自分で踏む。便利なインターネットの世の中こそこの作業が必要だと自分は思ってます。ダウンロードしたエレクトロミュージックも、そのDJがどんな音を使いどんな音を弾き出しているか。なるべくてらえるようにしています。楽しいな心地よいなだけで終わらせない。

インターネットの世界は物事が成り立つプロセスもまたよく見えるようになりました。大工さんのDIYとか、農業や畜産のプロセスであるとか。結果だけチョイスするのではなくそのプロセスをなるべく見聞きして知の体系として、もしできることなら自分の経験として捉えていくことが重要ではないか。そのように考えます。

簡単に儲かるよとか、こうしたら楽だとか。話はそれなりに聞きますが、自分のフィルターを通して判断していく。その姿勢だけは常に持っておきたいと思います。

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