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現代思想、現代アート、現代音楽について。

現代思想、現代アート、現代音楽。

自分がTwitterでよく使うキーワードです。

しかし、現代思想や現代音楽って何?と言われた時、その解説はちょっと簡単ではありません。

「現代」とつくので、新しいものというニュアンスは何となくあってもそれがどういうものかを説明してくれる文章にはなかなか出会えません。現代思想、現代アート、現代音楽というのはおおよそ20世紀のはじめごろから出現したものを指します。それらの共通項をざっくり言うと、分かりにくかったり、意味不明だったりするものが多いです。

例えばバッハやヘンデルの音楽は聴いてて美しいです。

ルノアールやロートレックの絵画ば綺麗です。どちらも学校の教科書に出てきます。

そしてロックやヒュームの思想は後の法律や法学の確立に大きく影響を与えました。

このように古典派の思想、アートはまっすぐに私たちの考え方や感性にストレートに作用する力を持っています。

しかし。

20世紀から出現した現代思想、現代アート、現代音楽は違います。私たちの感性にストレートには響きません。分かりにくかったり意味不明だったりするのです。例えば現代アートの始祖と言われる芸術家にマルセル・デュシャンがいます。

そのマルセル・デュシャンの最も有名な作品は、便器でした。便器って?そうです、あの便器です。一体それの何がアートで何が思想なのでしょうか? この難しさというか意味不明さが現代思想であり現代アートでありまた現代音楽の在り方なのです。

「現代思想、現代アートっていうのはさ、なんていうか将棋に似てるよね。マルセル・デュシャンのさ、あのトイレの便器だけ置いた作品とか。あと、ジョン・ケージだっけ。まったく何も音を鳴らさない無音の音楽作品とか。あれは先手に駒を指したヤツに対するメッセージで後手の駒なんだよね。」(北村昌士)

これは音楽評論家の故・北村昌士さんにお話を伺った時、当時何も知らなかった若僧の自分に対して、北村さんが説明してくださった解説です。


どういうことかというと、

例えば、絵画にしろ、音楽にしろ、思想にしろ。一通りの技巧・技術とか作品の完成度というのは19世紀までに出来上がってしまったわけです。バッハもヘンデルもベートーヴェンも出現してこの上ない傑作を残してる。ミケランジェロもゴッホもルノアールも出現して偉大な作品を残した。技術的にそれを超えて行くことは考えにくい。

つまり、もう新しい何かをゼロから生み出したり、過去を超えていくような何か新しい技術も見つけにくい。それがまず20世紀の思想や芸術のスタート地点だったのです。今を生きる人間は人間で、何かを思い、何かを感じ、何かを記していきたい。でも芸術作品としてそれを出そうとしてもミケランジェロやバッハやゴッホという偉大な歴史がそびえ立つ。決して超えられない壁としてそれがある。

じゃあ新しい時代を生きる人間は一体どういう立場から作品を作ったりメッセージを発したりすれば良いのか。

その態度が例えば過去に対する批判・批評のメッセージであったりとか、過去とは違う反正統的な一風変わった表現方法であったりしたのです。

これらが現代思想、現代アートの持つ複雑さの根底にあるのです。だからややこしい。しかし、その一風変った表現方法や考え方こそが、ある意味、真摯に真っ当に20世紀という新時代を切り開いて進む生き方、考え方の在り方でもあったのです。


そしてもう一つ。

偉大な作品や思想を残してきたヨーロッパ文明。そのヨーロッパ文明は20世紀に入った途端に第一次世界大戦という世界規模の戦争に突入しました。

このことはヨーロッパのアート、思想界にとって大きな挫折だったのです。科学の発展や思想の成熟。それらの行く先は結局、戦争なのか。

一度、過去をリセットしないといけない。

我々は一度すべてをリセットしないといけない。

それまでのアート、思想、音楽を受け継がない新しい創作運動が始まったのです。これを総称して現代思想、現代アート、現代音楽と呼ぶと考えて良いと思います。それは過去のヨーロッパの栄華や栄光を捨てた、冷めたクールな視点であり、批判精神を帯びた思想運動、芸術運動でした。その表現力はとても変わっていて、奇妙で奇抜で常識的とは思えないものも多数ありました。


ピカソやジャン・コクトー、ストラヴィンスキーなどがその元祖と考えていいと思います。その作風は奇抜だったり破壊的なものだったりします。

その奇抜や破壊の作品は、見てて痛々しかったりうるさかったりします。バッハやルノアールのような優しさや美しさは無く居心地悪いものも正直多くあります。しかし一歩踏み入ってその奇抜と破壊と暗黒の中にとても確かなヒューマニズム、人間らしさ、生きることへの葛藤などを見ることもできます。


「太宰治が面白いとかさ、ヴェルベットアンダーグランドが良いとかさ。みんな言うじゃない。そんなことはわかってんだよね。良い作品はたくさんある。問題はさぁ、そういう偉大な過去の作品があって、それを受けて、僕らがどう生きるか、僕らがどういうものを作っていくか。そこなんだよね。マルセル・デュシャンやジョン・ケージが超えようとした壁って、それは僕らがぶち当たっている壁と同じなんだよ」(北村昌士)

過去を受けて。

自分がどうそれを超えて行けるのか。

自分のFXのテクニカル分析も。

何かそこに似たようなテーマは存在してるような気がします。


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