ナンピンしかできずに全額破産し絶望した自分が、ひたすら目指したあるブログの話。

少し昔話を。
話は2006年まで遡ります。

これからの時代は投資ができないといけない、でも何をやっていいかわからないという自分が、初めて行った投資が金の現物を買うこととドル建て預金をすることでした。2002年だったでしょうか。

でもそれ以上何ができるわけでなく、たまにニュースの為替レートを見て上がったり下がったりしてるなと思ってました。

FXというサービスがあるらしい。
FXでドルを買ったらスワップ金利というものがつくらしい。そのことを知ったのが2005年頃。実際にFX口座を作りそこに入金し実際にドルのポジションを持ってみたのは2006年の秋でした。

なんだかよくわからないんですが、お金が増えるんです。日付をまたいで持ち込せばスワップ金利がちゃりんちゃりん入ってくるし、ちょっと下がったときにドルを仕込めばまた上がってくる。なんだこれ。こんなことで金儲けができるのか。

浮かれた自分は、ありったけのお金を全てFX口座に入金して、思いっきりドルを買ってました。オーストラリアドル円の方がスワップがいいらしいよ、へーそうなの。じゃぁそれも買ってみようか。そんな感じでもうポジるポジる。でもちゃんと全部上がってくる。その頃はなんと日本国内FX口座レバレッジ200倍の時代でした。みるみるお金が増えました。

そんな自分が1番最初に出会った暴落が2007年2月末の上海ショックでした。血の気が引きました。体が震えました。しかし。毎日入ってくるスワップで気持ちを落ち着かせ、じっと耐えました。その暴落から2ヶ月経った頃、ちゃんと元の価格に為替相場戻ってきました。

あーびっくりした。
なんだったんだあれは。
死ぬかと思ったけど、何とか無事。
我慢した分スワップも入ってきたし。
やれやれ。

そんなこんなで2007年を過ごしてました。

アメリカのサブプライム問題がうんたらかんたらなどのニュースが聞こえてきてました。なんかそんな問題はあるらしいけど、とにかく買わないとスワップ入らないし。ドルが落ちたって言ったって結局また戻ってくるし。そんな態度で2007年の夏を迎えました。

2007年8月16日木曜日。
はっきりと覚えています。曜日まで覚えてます。午後2時を過ぎたところからとてつもない下落相場になりました。上がるだろう、さすがにここまで落ちたら。そう思っても全く上がらない。ありえない下落相場。世に言うサブプライムショックでした。

ここでも自分は全額破産はしませんでした。本当に本当に首の皮1枚でつながりました。しかしながら119円あたりでつかんでいた大量のドル円ロングポジションが大きな負荷としてのしかかってきました。しかし思いました。ここ堪えたら何とかなる。上海ショックの時もそうだったじゃないか。怯えるな。勇気を持て。対策を打て。

自分がその時に打った対策は、なんということでしょう、2002年に買って大幅にその値が上がった金の現物を全て換金し、現金に変え、その現金を全て含み損の残るFX口座に投じる事でした。これで大丈夫だ。随分と余裕ができた。ドルもそのうち戻ってくるだろう。いや待てよ、この余裕ができた分でもういっちょ仕込んでやろうか。

2007年9月末から、また少しずつドル買い。
ドル円もなんとなく117円を超えて値段を回復してきてました。あーよかった、自分の見通しは間違ってなかった。

そう安堵した次の瞬間。

2007年10月末、ドル円が再度、大幅下落を開始。ちょっと待ってくれ、それはまずい。ちょっと本当に待ってほしい、ドル円が110円を割るとかそんな事は想定していない。一体どこまで落ちるのか。どれだけ耐えれても、105円を割り込むようなことがあったら自分の全ては終わる。本当に本当に本当に、ちょっと待って欲しい。一体どうなるのか、ドル円はどこまで下がるのか。

ナンピンしかしてなかった自分は、FXブログ等は読んだことなかったのですが、あまりの恐怖心に耐えかねて、今後のドル円を予測するブログを探し始めました。もちろんドル円が120円に戻るということを力強く言ってくれるブログ探しでした。しかしそんなブログは1つもありませんでした。

失意と恐怖の中で、ある1つのブログに出会いました。FXブログランキングでかなり高い順位にあったブログでした。

「目指せ1000万! 激走FX GRAND PRIX」

こんなタイトルのブログでした。
ロガーロさんという人が書いてるブログでした。

何の気なしに読んでたのですが、読み進むほど驚きの連続でした。なんなんだこの人、自分が恐怖に明け暮れたあのサブプライムショック。あそこのあの場面を売りでも儲けてた?

しかも

「ニュージーランドドルは最初から売りだけを狙ってました。」

え?

自分がずっとロングで買いをとって毎日入ってくるスワップにホクホクしてたニュージーランドドルを買わずに売りだけ狙っていた?ありえない。

衝撃的でした。

FXは儲けるもの、それにはまずなんといったって買いポジションを持つ。それが当然と思ってた自分にとって。このブログとの出会いは本当に驚きでした。FXにショートがあるのはもちろん知ってましたが、スワップ金利を払ってショートなんて馬鹿がやることだと思ってました。

しかもこの、ロガーロさんとかいう人、奇妙なことを書くんです。

「SMA25が超えれません。ここから下落に転じると思います。」

いや、その書いてる意味がわからない。

「ADXが上がってきました。ショートで攻めたいと思います。」

?????????????

しかしこの意味不明なブログ。その後の為替相場の展開がその通りになるんです。なんなんだこの人。

忘れもしない2008年1月2日。だいぶ下がってきたポンド円なけなしの資金でロングしました。そうだ、あのロガーロさんはどうしてるだろう。その日かその翌日かにアップされたブログが忘れられません。

「年始はポンド売りから入りました」

ちょっとちょっとちょっとちょっと、それはない。と、思ってた横からポンド円がみるみる落ちていく。

何なんだ。一体どういうことだ。なんでこの人の言った通りに為替相場は動くんだ。

2008年3月をもって。自分のFXの資金はゼロになりました。ドル円は戻ってきませんでした。ぼう然としました。失意のどん底でした。これからどうやって生きていいかわかりませんでした。親戚には死ねと言われました。

どうすればいいのかわからない。

わからない。わからない。
でも1つだけ光がある。
あのロガーロという人のブログだ。
どうしてあの人はドルやポンドが暴落するってわかるんだろう。もしも自分が同じようにあの人のように相場の先行きがわかったらこんなに損せずに済んだし、ましてや儲けも取れただろうし。

自分は全てを失ったけど。希望はある。どれだけかかるかわからないけど自分にできるかどうかわからないけど、あのロガーロさんのようにチャートを読む、相場を読む。そうなるしかない。それ以外に道などない。

2008年の貧弱すぎる弱すぎる自分の1つの決意でした。

それからは、寝ても覚めてもチャートの事ばかり。暇さえあればロガーロさんのブログを読む。そうだ、音楽が好きな自分は随分とCDやレコードをためこんだ。コレクションした。こんなコレクションもうどうでもいい、片っ端からヤフオクで売れ。できたお金、2万でも3万でもFX口座に入れていけ。学んだことを実践するのみだ。

あの人のようになるんだ。

絶対にどんなことがあっても、どんなに周囲から否定されても馬鹿にされても。どんなことがあっても。あの人が見えている風景を、ロガーロさんが見てる光景を自分も見てやるんだ。



つまずいては転びつまずいては転び。
一体何年かかったことか。

でも。

2020年2月。
あの上海ショックから13年。
ロガーロさんのブログに出会ってから13年。

自分は、今。

ずっとずっと見たかった光景が、見えてるような気がします。ずっとずっと追い求めてきた、あの人の背中に、少し近づけたのではないか。そんな実感を持っています。


インターネットは素晴らしいと思います。プロでも何でもない個人が書いたブログが、1人の人間の人生を救うことだってあるんです。FXはとても残酷な世界ですが、夢のある世界だと思います。このテクノロジー、環境に感謝したいです。そして、失意のどん底から自分を拾い上げてくれたブログ、それを書いてくださったロガーロさんに、改めて尊敬の念と感謝の意を表したいと思います。

挿し絵もなく文字だけでひたすら書き綴りました。

おわり


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