社会人になった自覚というかそもそも自分の当事者意識がない。

私は多分、人より自分の当事者意識が薄くて、自分の名前も自分のものだと思えないし、今を生きていてもそれは半分くらいオートモードな感覚だから、今の全てをリアルタイムで感じながら噛み締めて生きている感覚はない。今抱くべきたいていの感覚は遅れてやってくる。
 ふいに、条件が揃った風の匂いや雨の音を感じると、ようやく過去を自分で生きた感覚を獲得できる。最近雨を嗅ぐと、小学校のひんやりした空気や、湿気だらけでキュッキュッ鳴る廊下を思い出し、過去の記憶と自分の意識が同期し、ようやくその時生きた感覚が自分のものになった。昨日暖かい風を感じた時、ラフな格好で大学に行って、デ特を抜けて12号館前の風に煽られながらイメージライブラリに行った日の当事者意識を獲得した。
自分がしたことだと自覚するのに数年はかかるっぽい。
リアルタイムでは、これって悲しいってことかな?悲しむべき時だよな?とかの予想で補って、実際に悲しくなるのは決まって数年後の無作為ないつか。感動泣きできないのもこれ。感動してないわけじゃない。感動の理屈はわかる。でも理屈と感情がすごく離れたところにある気がする。
 だから自分が社会人になった自覚も卒業した自覚もなけりゃ、高校って行ったっけ?大学ってあったんだっけ?となっている。意識はいつもどこにあるんだ。

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