親の呪縛と自分の正体

この親に育てられたからこれが好きだとか、これは苦手だとか、自然にいろいろあるけど、親ルーツではない”好き嫌い”を数えると、あまりないような気がして、なんか物悲しくなる。親の呪縛は小学生ごろからずっと思っていたけど、もし親がいなかったら自分は何になっていたかなとか、何を好きになっていたかなとか遥かに開けた可能性について考えてしまう。特に好きとか生き方とかポジティブな何かを語る上で、帰着するルーツが結局親なの何故かちょっとだけ悔しい。悪いことじゃないけどなんでかね。違う親に育てられていても、同じオリジナリティを獲得していたいというか何というか。
そうじゃないといくらすごいことをしても、親の遺伝や教育がすごいってなりそうというか、実際金持ちとか医学部を見るとそう思ってしまうのも悔しいというか、親ルーツ抜きでも揺るがぬ何かが自分にはあると思いたいというか。

こんなことを今日虫歯治療されながら考えていた。思春期か。親もすごいし自分もすごいでいいはずなのに。

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