見出し画像

大学数学を手ほどきいたしましょうアントワネット様

大学生向けの数学学習指南書を書き下ろしたいよ~とずっと前から公言してきた私ですが、いろいろほかの仕事もあって時間が割けないでいます。

ごくシンプルな数学史観を、受験数学に染まり切ったよゐこの学生さんたちに伝授してさしあげることから始めるべきであろうというところまでは、考えが固まっています。

数学史観とは何か?

アメリカ独立戦争については皆さん聞きかじったことがあると思います。えげれその海外領土として、アメリカ大陸には13の州がありまして、そこの住人たちはえげれそ国籍でありながら参政権もなんもなかったのだそうです。(うろ覚えです違ってたらすみません)

そのうえ王様が一方的に重税を課してくるので、とうとう不満が怒りに大爆発こいて、独立戦争へ。

独立宣言を読むと All men are created as equal. とあります。women はどうなるんやという定番のツッコミは馬鹿馬鹿しいのでしないとして、なんだってワシントン将軍は「すべての者は神の下、生まれ持ってみな平等である」などと大仰なことばから切り出したのでしょう?

イギリス国王の権威は、神から授けられたものとされてきました。今でもそうですけどね。それに刃向かうには「神から授かった権威を、王は間違って使っておるではないか。ゆえに従う義理はないわ」と理屈こねないといけなかったわけです。「わしらアメリカの民は不平等を強いられとる。それはすなわち王が神の意思に沿わないことをしているのだ。いかんいかん。わしら独立するわ」と。


もう少し後になるとフランスで革命が勃発します。そのときもやはり「王が神の意思に沿わないことをしとるで、わしら王権剥奪したるわ」と理論化されました。

ただこのときは「みんな神の下では平等」とは切り出さず、「ひととひとは社会契約で結ばれており、王権もまた社会契約によって成り立っているものにすぎない。王が王権を乱用するのならば契約違反やから王権奪うわ」と理屈づけました。

もはや「神」を根拠におかないで、王権神授説にかみつく理論ができていたのです。


同じことがヨーロッパ数学界でもありました。19世紀後半つまり日本でいうと明治前期ですね。

∞(無限)の扱いについて、二つの派に分かれました。

高校の微積で習う n→∞ は、旧派のなごりです。無限とは、果てしない時間を費やしてどこまでも近づいていくものであるという考え方。

水平線にいつかたどり着けると信じて航海を続けるようなイメージ。

ところが新派(私の命名)は「∞ は近づくものやない、当初からあるんや」と主張しました。

絵にするとこんな風かな。


20世紀に入ると、もっと進んだ考え方が現れました。

∞ という記号すら使わずに済む、数学体系が作れるんやないか、と。

閉集合と開集合の二つで十分ですよという理論でした。


「閉集合でなんやの~?」 ん-とね、こんなの。

「開集合は?」 んーこんなの。


閉集合は、国境線に触れても罰せられないけど、開集合は国境線にちらとでも触れるとビーッとセンサーが作動して捕まってしまう、そういう国土のことです。

この「閉集合」「開集合」の二つを使うと、∞(無限)も1/∞(無限小)も、∞ を使わないで語れてしまうのですよ。


無限や無限小は、かつては無限に遠いとか無限に小さいとか無限に時間がかかるという風に、時空イメージつまり物理イメージで語られてきました。

しかし数学は数学で独立した学問であってしかるべきだと、19世紀ドイツで提唱する数学者が現れました。

そして20世紀になって、数学の独立宣言(にあたるもの)がドイツでなされました。

神の名を使わずとも、王権は否定できるし人民の人民による人民のための政治は正当化できるぞというのが、民主主義の発展の歴史でした。

数学においても ∞ を使わずに無限も無限小も扱えるぞと、革命が起きたのです、数十年がかりで。


ちなみに上の図にある「国土」は極めて抽象的なものです。面積すら存在しないのだから。

あるのは「国境線」と「触ってもいい/よくない」のみ。

そこにはもはや物理的イメージはみられない。

「カラス三羽にひなが二羽できたら全部で五羽」は物理的ですが「3+2=5」は抽象的で、物理的実体を伴いませんよね? それと同じです。


人間もそうですが、生物は生まれてくるにあたって生物進化35億年を追体験します。子宮のなかで十か月かけて生命誕生から追体験して生まれてきたのが私たちです。

大学で習う数学は、それです。

ヨーロッパでかつて繰り広げられた、「∞」をめぐる数学の独立戦争を、四年かけて追体験するのです。

数十年かかった戦争を、四年で追体験させられるわけだから、どうしても駆け足になります。

兵隊でいうと「俺ら今どのあたりを匍匐前進しとるんやろな」「知らんがないいから進めよ」「この演習いったい何が目的なんやろな」「知るかよ言われた通りやればいんだよ」でしょうか。

しかしもし、大学数学の教科書をざーっと流し読みする余裕があれば「n → ∞」の表記がやがて「∑∞」にとって代わられ、やがて「∞」そのものが出てこなくなる様に気づけると思います。

最後には「集合と写像」という山頂にたどり着きます。

この山頂から、あらゆる数学分野に向けて、川が流れていく、そういう様を見届けることになります。

フランスの天才数学者集団「ブルバキ」が作り上げた、数学宇宙の一大ハイウェイです。


…以上が私なりの数学史観です。

いずれもっとスマートに語りなおしたいです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?