【ネタバレ感想】シン・エヴァンゲリオン劇場版:|| は、エヴァと庵野監督の歩みを描いたメタ的なエヴァである

シン・エヴァンゲリオン劇場版:||を観た。そのタイトルに付いた記号(終止線)が示す通り、エヴァを完全に終わらせて別れを告げる決意に満ちた作品だったので、もはや作品として面白いかどうか判断するよりも、庵野監督の葛藤と決意に「お疲れ様です!」と言いたくなる気持ちが強い。

物語後半の現実と虚構の入り混じった表現には確かに当惑したけれど、アニメ最終話や旧映画版のラストを思い出すと、そういやエヴァってこういう映画だったよな、と懐かしい気持ちにもなった。以下は個人的な妄想を多分に含んでいると思うが、今回のエヴァを読み解く一つの例と思って読んで欲しい。

エヴァに組み込まれた反復性とそこからの脱却

エヴァはそもそも、自分の好きなアニメや特撮の要素を参照・引用・融合させ、更に自分の内面世界とオリジナリティを投入して生み出された、庵野監督の分身みたいな作品だ。そして旧劇場版とここまでの新劇場版は更に、自分のエヴァを自己引用・自己参照しながらバージョンアップしたものだった。本質的に繰り返しの物語だったのだ。だがその最後を締めくくるシンエヴァは更に一歩進み、エヴァの歩んだ歴史とそのとき監督が考えていたことをエヴァの中で描き、そしてエヴァと決別する、極めてメタな作品になっていると感じた。

なのでシンエヴァは今までのエヴァよりも、キャラクターの立ち位置や出来事が庵野監督の現実の出来事や心情と深くリンクしているように思える。特に後半の展開は物語上の意味を考えても理解不可能で、庵野監督とエヴァの歩みから読み解く必要のある、超ハイコンテクストな展開だったと感じる。

エヴァを終わらせる試み=サード・インパクトの阻止

まず、新劇場版で語られるサードインパクトの阻止は、エヴァを終らせることのメタファーじゃないだろうか?『破』でシンジが阻止したはずのサードインパクトが、『Q』で止められていなかったと判明する。
これはアニメ版でなんとか終わらせたはずのエヴァが不完全燃焼であったことを連想させる。
そこで『Q』のシンジは周囲の反対を押し切り、カヲルと共に2本の槍を抜いてサードインパクトを止めようとする。この展開は2本の物語( Air/まごころを、君に)をやり抜いて(槍抜いて)エヴァの完結を目指した旧劇場版と重なる。しかし、そのことで逆にサードインパクトを起こしそうになる上に、終わりの象徴であるカヲル君はシンジの代わりに死んでしまう。まるで物語に納得のいく決着を付けられず、終わりどころを失ったエヴァのようだ。

アディショナル・インパクトの阻止=エヴァ世界観の拡張の阻止

シン・エヴァで描かれたフォース・インパクトの阻止は、新劇場版によって今度こそエヴァを終わらせようとする試みに思える。しかしその過程で、ゲンドウは予期せぬアディショナル・インパクトを起こそうとする。これはエヴァの世界観をガンダムのように拡張させ、今後も永遠に続くコンテンツにしていこうとする商業面での圧力だったのではないか。登場人物達はそれに抵抗し、エヴァをしっかりと終わらせるための戦いを挑む。

また、今作は庵野監督の心情の多面性がエヴァパイロット達によって表現されていたと思う。以下に各キャラが象徴していると思われる要素を挙げてみた。

シンジ:庵野監督の最も深い内面
シンジは元々庵野監督の分身のような存在だったが、今回はより純粋な部分や本心を象徴していたように思える。良かれと思って行った行為に絶望し、一度は綾波に差し出されたS-DATプレーヤーを拒絶する様子は、自分の好きなことの繰り返しに嫌気が指したように見えた。(実際に庵野監督は『Q』制作以降に鬱状態に陥り、何も手がつかない状態になっている)
レイを失い、ゲンドウ(大人としての自分)と繰り返し衝突する中でエヴァの世界がジオラマ化し、その虚構性と裏側の存在に気づいていくさまは、株式会社カラーを立ち上げ、会社経営などを通してものづくりの裏側の領域に意識が向き、エヴァへ客観的視点が芽生えたのではないか?と想像した。最終的にゲンドウとぶつかり合うのを止め、対話によってシンジ(本当の自分)は勝利する。そしてエヴァの反復を止め、エヴァンゲリオンのいない世界を新しくつくり、物語の反復から抜け出すのである。

レイ:虚構の中に存在する理想と幸せ
今作のレイは庵野監督がアニメの中に見出している幸せや理想、更には理想的なエヴァのあり方を象徴しているのではないか。『Q』ではゲンドウに支配された偽物でしかなかったが、シンエヴァでは日常生活の中に溶け込もうとする。しかし彼女はそこでは長く生きられなかった。幸せや理想の象徴であるレイの死は、シンジがエヴァにまた乗る決意を固めるきっかけになる。これは、一度はアニメとエヴァから離れ、日常に幸せを見出そうとした庵野監督が、それでもアニメ制作の中でしか幸せを感じられないと実感し、シン・エヴァの制作に帰ってきた理由を説明してるかのようだった。

また、アディショナル・インパクトの際に現れる中途半端にリアルな綾波の顔は、不気味の谷現象を意図的に生み出し、気持ち悪いと感じさせる表現になっている。これは不自然な形でのエヴァの延命は非常に不快かつグロテスクで、エヴァまみれの人生を送ることは悪夢でしかない、という意味なのだろう。北上ミドリがそれを見て「絶対に変!!」と言うのは、カラーのスタッフみんなの気持ちのようにも見えた。

また、レイはシンジに「ごめん、また君がエヴァに乗るのを止められなかった」と言う。これは幸せを求めた結果、またエヴァをつくるしかなかったのだ、という意味に取れる。彼女のボサボサに伸びた髪は、理想を追った結果、めちゃくちゃ伸びてしまったエヴァの制作期間と公開日のメタファーでもあるのだろう。

彼女は最後、カヲルの恋人になっているようだった。虚構の上にのみ存在した幸せはエヴァから開放され、めでたく「終わり」と結ばれたのだろう。そしてシンジもレイから卒業したのだ。

アスカ:承認欲求の象徴
本作におけるアスカは承認欲求を象徴する存在のように感じた。アスカが自分自身のATフィールドのせいで13号機を刺せず、逆にアディショナル・インパクトのトリガーとなってしまう展開は、承認欲求こそがエヴァを終わらせる邪魔となり、今後も続ける動機にすらなり得た、という意味ではないだろうか。
最後にアスカと旧劇場版のあの場所で別れを告げる際、彼女は大人の女性へと成長しており恥ずかしがる。これは監督にとって承認欲求は過去に強く追い求めていたものだったが、今は精神的にも成熟し、さらけ出すのが恥ずかしいと感じるようになったことのメタファーではないだろうか?

マリ:創作意欲の象徴
マリは庵野監督の創作意欲の象徴に見える。マリの乗る8号機は9号機、10号機、11号機を食べて力を得るが、これはアニメ監督作品として8~11作目に当たるエヴァ新劇場版を束ねることで、エヴァを終わらせて次に進む意欲を得たのだと連想させる。そしてマリは消滅しそうになるシンジを最後に助けに来る存在でもある。シンジは最終的にマリと付き合い、監督の故郷である宇部新川駅の階段を2人で駆け上がる。庵野監督は創作意欲(初心)と向き合うことで、現実世界に改めて向き合う決意を持てたのではないだろうか?庵野監督を最後に奮い立たせてくれたのが虚構でも虚栄心でもなく創作意欲だったのだとしたら、やはりシンジと結ばれるのはマリ以外にありえないのだ。

渚カヲル:物語を終わらせたいという思い
その名前に「終わりの使者」という意味があるように、エヴァを終わらせ、次の一歩を踏み出したい気持ちの象徴に見える。彼だけはエヴァという物語が何度も蘇り、繰り返されている事実をメタ的に認識している。これはTVアニメ、旧劇場版と何度やっても終わることができないのだから当たり前だ。
そう解釈すれば、エヴァを本気で終わらせようとした今作の後半でカヲルが案内役になり、最後にゲンドウ(監督としての庵野自身)と同化するのもうなずける。レイと恋人同士になっているのも、エヴァの幸福な終わりがやっと来たのだと解釈すれば納得できる。

ゲンドウ:大人としてのしがらみの象徴
ゲンドウもまた庵野監督自身である。だが監督や経営者といった社会のしがらみ、大人としての役割とプレッシャーを背負った庵野監督の姿である。シンジとゲンドウが本作でついに戦ったということは、監督がシンエヴァをつくるにあたって、自分自身と正面から向き合い、葛藤したのだと感じた。
ゲンドウは創造で喪失感を埋め、現実と創造を一体化させ、そこに幸せを見ようとしていた。また、彼が起こそうとしたアディショナル・インパクトの内容を見るに、終わらせようとした新劇場版が予想以上にヒットしたため、エヴァの世界を拡張して続けるべきではないか、という葛藤や圧力があったのではないか?と思った(実際のところはわからないので想像だけど)。

けど実際はゲンドウは本当の自分の気持ち(シンジ)と向き合うのを恐れていたのだ。最終的にゲンドウは過去に戻り、シンジを認め、エヴァの行く末を託す。
この展開は、子供の頃に好きだったものに立ち返り、ゴジラのリブートに成功したことで、エヴァを続ける圧力から開放されたであろう庵野監督と重なって見える。

その他

また、今作における相田ケンスケは宮崎駿なのかもしれない。シンジ(庵野)を連れ出し、適度に放置し、やったことのない釣りをやらせるのは、風立ちぬの主人公の声優に庵野を突然抜擢した経緯と似ている。
また、アスカがケンスケに救われる展開は、彼の師匠である宮崎に認められたことで、承認欲求が浄化されたのだと解釈すると腑に落ちるのだが、どうだろう?

そしてヴンダー、及びヴィレは株式会社カラーの象徴。ヴンダーは方舟として種の保存をおこなう設備である、と本作で明らかになるが、これはカラーがアニメ制作外車であると同時に、特撮資料の保存事業を行っているこに重なる。最終的にそのヴンダーが新しい槍を生み出し、それをやり通す(槍通す)ことでようやくエヴァは完結するのだから感動的だ。

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