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おぼえ書き 2020年3月

(先に書いた劇団のブログの文章に加筆・修正したもので、個人の所感です。ステートメントみたいなものでなくこの時期を悶々と過ごした/ていることの個人的な備忘録として。この先状況はもっと悪くなるかも知れないしふとした瞬間に不安でたまらなくなるけども、タフに生き抜いていきたい。)

小さな演劇団体を主宰するものとして、そして普段足しげく劇場へ足を運ぶものとして、この2月から3月にかけて公演やイベントが中止または延期となった舞台芸術関係者、そしてそこへ足を運ぶ予定だった観客の方々の心境は想像するに余りあり、私自身その悲しさと無念、やるせなさを同じくしています。

今回ストレンジシードへの出演が決定したとて(それはとても嬉しく、故郷の愛知県にも近くかねてから野外劇の上演機会を切望していた者としてむちゃくちゃに楽しみなことではあるのですが)、この先の二ヶ月が一体どんなものになるか全く想像の出来ないものであることに変わりはありません。

5月第一週の静岡での開催ということで、現時点よりは幾分事態の収束が見込めること。

そして密室空間である劇場での上演でなく、野外のオープンエアーでの上演であることを考慮し、観に来て下さる方々の感染リスクも今(2020年3月上旬)と比べれば少ないものになるだろうと考え、平泳ぎ本店としてはストレンジシードの開催を信じてこれから参加のための準備を進めたいと考えています。

(もちろん実際の開催の可否ならびに一部内容の変更や、規模の縮小などを決定されるのはストレンジシード静岡事務局、主催の静岡市です。)

今回のこの混乱は、過去の天災と同じかそれ以上にこの先数か月から数年、あるいは数十年かけてありとあらゆるかたちで私たちの生活の上に影響を及ぼすものだろうと深刻に受け止めています。

(私自身、超短期的には日々の生活の糧を得ているアルバイト先がしばらくの休業となってしまって頭を抱えています。)

音楽やスポーツなどのあらゆるライブイベントと同じように、演劇もまた創作だけでなくそれを見届ける観客の方々がいて初めて演劇作品になります。

特に平泳ぎ本店の演劇作品は天に捧げたり奉納したりする高尚なものではなく、あくまでいつも同時代にそこへ足を運んでくれる方に向けたものです。

あるいは「稽古場で作れるのは作品の半分まで。もう半分はお客さんが入って初めて完成するので、本番前日でも無理せず早く帰ってゆっくり休んでください。」というのはとあるスタジオの聡明なディレクターさんの言葉ですが、この言葉に私は深く共感します。

観てくれる観客の方があっての上演で、そして観客と演者の安全と健康があっての上演だと、当たり前のことですが今またその思いを新たにしています。

平泳ぎ本店の作品を観に来てくれる方の中にはご高齢の方もいらっしゃいます。ひとりひとりの顔を思い浮かべることもできます。

どんな上演であれ、私たちの作品を観に足を運んでくれる方にウイルスへの感染のリスクをとらせてしまうことは主宰としての私の本意ではありません。

演者としての私たちはもちろん予防において万全の備えと、創作の過程で接する可能性のある周囲の方々への感染拡大防止に努めたいと考えています。

(若者は重篤化する可能性は低いが保菌者になる可能性はあるので職場や家族の人を守れるようマスクをし、咳・くしゃみのマナーを守り手洗いうがいを徹底し、よく食べ体調を整え免疫力を高め元気に機嫌よくこの日々を過ごしてくれるよう平泳ぎの俳優と関係者の人たちには伝えてあります。)

そして実際の上演においても、上演団体としてそこに居合わせてくれる観客の方々のあらゆるリスクを軽減するための対策を講じられるようフェスティバル側と協力し、演技・演出面でも考えを巡らせた上で、安全第一にゴールデンウィークに静岡で作品を上演できるよう準備を進めたい所存です。

そしてまた。

「国破れて山河あり」ではありませんが、文化としての演劇の命脈はそう簡単に絶たれるものではないと個人的には考えています。

人類の歴史とともに、様々な困難と苦難の歴史の中で、それでも絶えることなく人類が受け継いできた演劇という営みの上に私たちの創作活動もまたあると思います。

時としてどれだけ先が見えず、社会全体が混乱のふちに叩き落され苦しい時間が続いたとしても、その火を絶やさずに受け継いできたのは時の権威や公権力などではなく、ほかならぬ市井のわたしたち一人ひとりだったと信じています。

与えられた条件の恵まれている/いないに関わらず、その界隈を問わず、有名無名を問わずそれぞれの場所で「演劇」というものを志した人たちの情熱だったと信じています。

今回のような社会的な混乱の中に見舞われた時、すべての人がそれぞれにそれぞれの不安や痛みを抱え、傷つき、日々を過ごしていることと思います。

そうした自分以外の痛みや不安を想像し、こうした時こそやさしく微笑み肯きながら他者に寛容に寄り添うことこそ演劇が私たちに教えてくれる人間の智慧だと信じています。

そこにあるべきは分断や暴力的な振る舞いではなく、寛容と想像力と知性的な言葉だと信じています。

国破れて元気な俳優と観客あり。
(破れないに越したことはありませんが)

だので僕も僕なりに与えられた場所と機会において演劇の灯をともせるよう頑張りたいと思っています。

もうダメだと思ったら走って逃げます。

最後に、今回の混乱の最中のすべての判断が尊重され、舞台作品への理解と想いのある人たちの支援によって公演を中止された方々の傷が少しでも小さなものになることを祈っています。

そしてひとりひとりが歩みを止めず考え続け、ささやかでも言葉と行動を積み重ねることで状況が一日も早く収束し、すべての人の日常と劇場に平穏な日々が戻ることを心の底から祈っています。

松本一歩

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