能動性と絵のはざまで。DetroitBecomeHuman感想

久々投稿。Twitterも表立った活動用に分割して心機一転でござい。

タイトル通り、PSPlusでまさかのフリープレイになった、ずっとやりたいと思っていた話題のゲーム、DetroitBecomeHumanを遊びました。

https://www.jp.playstation.com/games/detroit-become-human/

がしかし、意気揚々と始めたものの早々に挫折。何故かと言うと、

ズバリ、カメラ操作の煩わしさに耐えられなかった。

これに尽きます。いやちょっと悲しかったんですけど、ほんと耐えられなかった。ただ、なんであんなカメラになっているのか理解はできるので、これはひとえに私との相性の問題であって、それがまたなおのこと悲しいのなんの。

このDetroitという作品はストーリーが売り物で、それを最大化するためのゲームデザインがなされているわけですが、問題のカメラがその最たるもので、シナリオを体感させるために、映画さながらの1シーンの絵になるように移動しまくるわけです。その御蔭でまあ各場面の立ち絵が映えます。こいつをDetroitカメラとでも呼びましょう。で、そのDetroitカメラと引き換えに、TPS系のよくある、キャラクターを支点にしてアナログスティックでユーザーにカメラを委ねるシステム(TPSカメラと呼びましょう)はかなりスポイルされてるんですな。

で、ただ、「Detroitカメラが特殊で映えるのね」で終わればよかったんですが、このカメラ、中途半端にTPSカメラの、ユーザーにカメラを委ねる部分がミックスされてるんですよ。結果、アナログスティックで操作するカメラ(=自分が見る画面)がころころ変わって、そこに対して操作を加えるのはヒッジョーにストレスでした。キャラクターという画面上の支点がないから、どれくらい操作の自由が効くかわからんし、思ったところにカメラが移動しないのはユーザー体験としてかなりお辛い。

じゃあDetroitカメラは固定化されてればよかったね、かというと、そうは問屋がおろさないわけで、このゲームは基本「もの探し」のアクションをすることで話が進むシステムになっている都合上、カメラを動かす、というアクションはこのゲームのユーザー体験そのものになるんですよ。というわけで、「物を探すために操作しづらいカメラをいじくり回す」みたいなイマイチな感触をうけてしまったわけですな。

この「見せたい絵」と「動かすカメラ」の問題は、3Dゲーム黎明期からの永遠の問題ですよね。ゲームは映画と違って「自分でキャラクター(被写体)を動かす」という能動性があるので、動かさないわけには行かない。ただ、ただキャラの後ろに付随すると画面の「絵」のクオリティがスポイルされると。そのジレンマの結果があのDetroitカメラなんじゃろなあというのが、ひとまずの結論であります。あの絵作りがしたいのはわかるし、結果操作がむずかしくなったのはわかるんじゃが、メインのアクションもカメラ操作が前提なんだし、もう少しどうにかならんかったのか。肝心の物語にたどり着かんわよ。

というわけで個人的には、気が向くまで続きはプレイしたくない印象。シナリオは気になる悲しみ。

Detroit遊んだ皆さん、あのカメラどう思いました? よろしければコメントお待ちしております。

#ゲーム #日記 #コラム #ゲーム制作 #仕事


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