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絵空事 -eclipsar- 第5話「穢」 ~ eclipse negro

蓮華の居る部屋から、出来るだけ遠くへ。
否、外へ向かおう。その方が――

「兄上。」
「っ!!」
突然響いた声に、思索がぶつりと千切られた。

「御忠告申し上げたはずですよ、二度目はないと。」
相変わらず、くすくすと楽しそうなあいつが、其処に居る。

「くっ…。」
俎上の魚らしく。――せめて、出来るだけ悔しそうなそれを顔に浮かべた。

「…残念でしたね、もう少しで外へゆけたのに。――折角、機会を与えて差し上げたものを…。どうやら貴方は、死をお望みらしい。」
「――何とでも言うが良い。」

恩を仇で返すその言葉にさえ、さも愉快そうに笑う銀翅に、敢えて問うた。
「…何故、此処までするのだ…?」

「…。私は、あなた方の罪を祓って差し上げているだけです。」
「何…? 貴様は、神にでも成った心算か?」

銀翅は、愉快そうな表情を更に歪めて嗤った。
「――全く、貴方らしいお考えですね。…人の世で罪を祓う、最たる方法がこれだというだけです。だからこそ、主上もそう定められたのでしょう…?」

「…。…………」
「――罪は祓わなければ消えず、罪に触れれば穢される。…だからこそ、あなた方は私を疎んだのではありませんでしたか…?」

少し苦みを含んだような微笑を前に、ち、と舌打ちをする。
――銀翅にはどうにも敵わない、己を僅かに呪った。

そんな私を見、またも僅かに嗤ったのだろうか。
少し目を細めて尚、銀翅は続けた。

「どうせ穢れた身なのであれば、総ての罪を私が持って往く。…其れを以て赦しとしましょう。」
「…では、貴様を祓うのは、誰なんだ。」

静かに目を伏せたかと思えば、くぐもった笑い声を微かに漏らし、銀翅は清々しそうに言い切った。
「心配は無用。――そして、貴方には関わりのない事。」

色濃く深い因果を纏い、溜息をひとつ吐いて尚、鋭く光る双眸を此方に向けて。
「――無駄話が過ぎましたね。…そろそろ、貴方に関わりの有る話を致そうではありませんか。」

「っ、…。」
その眼光の鋭さに思わず息を呑む。――銀翅は此方の様子を見、苦く笑って言った。

「…。折角ですが、甚振るのは私の趣味ではありませんので。――あれは、何処に隠したのですか?」
「あれ、だと…?」
よもや、蓮華のことが判ってしまったのだろうか、と焦るが、顔には出さないように努めた。

「私の子ですよ。――他に誰がいると?」
「………。」――どうやら蓮華の事には気付いていない様だ。

「…。ああ、そういえば。」
「…?」
此方の安堵の隙をついて、銀翅は思い出したように懐に手をやった。

「貴方を捜していて、この様なものを見つけました。」
「…!!」
怪訝な顔をしてその懐を見つめていたが、にこ、と微笑みながら差し出されたものを見、血の気が引くのが自身にも判った。

「ひとではなく、式如きに情けを掛けるとは…。貴方もおかしなひとだ…。」
手許を見ながらそう言った銀翅の瞳は、安堵と侮蔑と哀れみが入り混じっていたように見えた…。

銀翅に差し出されたそれは、自身が心血を注いで創った式神――翠玉(すいぎょく)の、核というべきもの。
己が死した後も出来るだけ永らえるようにと、その符には自らの髪を入れてある。誰にも判らぬように隠していた筈なのに、どうやら見つかってしまったらしい。

「…その上…貴方という方は、式ひとつに己の心血すべてを注ぐのですか。…成程、貴方は子を授からぬ身でしたね?」
「く…。」

「この式は貴方の子ですか。」
此方の動揺に全く興味を示さず、ぬけぬけと微笑みながら、銀翅は続ける。
「なれば。…貴方が我が子を返さぬというのなら、私がこの式を頂きますが。」

「………………。」

「…厭だと申されますか? ほう…?」
沈黙を守る私を見、銀翅はさも愉快そうに目を細める。その瞳は、僅かずつ怒りに満ちてゆくようだった。
「私の気持ちが、すこしは解りましたか? 『家長がそう言ったから』…その様な理由で納得出来ますか? …出来ませんよね?」
――しかしその口元は、瞳のそれとは対なる感情を露(あらわ)してゆく。

「…く、そ……。」
「ああ、わかります、わかります。くやしいですね、いかりがおさえられませんよね? それでも尚、奪われるよりほかに、生かすすべはないのですよ。――引き渡さねば殺される。なれど、我が手元にあるわけでもありません。…口惜(くや)しくとも、手出しすら出来ぬのです。解りますか? 私のこころが。」

そう言いながら此方に近付き、相対する感情を、その表情に伏したまま。
――銀翅は、焼鏝(やきごて)のようなその表情(かお)を、私の眼に聢(しか)と焼き付けた。

「………嗚。どうやらほんとうに、あなたにはおわかりいただけたようだ。」
此方の様子を篤と見詰めていた銀翅は、ふと表情を緩めると、どこか穏やかに笑んだ。

「…それで。如何なさいますか?」
――尚も問うた銀翅に、張り詰めた気配が僅かに緩み。

「…。お前の子供、は…。」
漸く、痞えていた咽が声を絞り出す。――銀翅はそれを、刃の様に鋭い眼で見つめた。
「…門の傍の、木陰だ…。」

「…あなたもようやく、ひとの親ですね。」
皮肉げに、或いは呆れたように笑う銀翅を前に、悔いは無し、と静かに覚悟する。
――少しは、報いることが出来たのだろうか、と…。

***

――だから、なんだというんだ。
「…成程。直ぐに逃がせるようにしたのですか。」
狡賢い男のやりそうな事だ。――手の内に残るものを投げ捨て、用済みのそれに興味すらも無くし、最後の手を下した。


斃れたそれを見下ろし、目元の朱を手の甲で拭う。僅かに視界が開けたように感じたが、大して変わりはないだろう。
とにかく、子を捜しに行くか。

やれやれ、と溜息をつき、誰も居なくなった屋敷を見上げた。
――こんなにも呆気無いとは。…やはり、過去に縋っただけの家だったのだな。

流石に少し、疲れた。
急ぐ訳でもなし、ゆっくりと向かおう。

阻むものはもう何も無い。だというのに、いやに身体が重く感じた。
疲れ切った身体を引き摺るようにして漸く門の辺りに着くと、微かに赤子の泣き声が聞こえた。

門の外に押し寄せていたはずの村人の声も、もう聞こえない。
恐ろしいほどの静寂の中、その赤子を拾い上げる。

――お帰り。
穢れた朱色をつけないように、慎重に抱き上げた。

そのまま、重い門を開けて外へ出る。
ざわざわと騒ぐ木々の合間から、聴き覚えのある声が聴こえたような気がして、其方へ顔を向けた。

「…おや。十六夜かい。…何だ、来てしまったのか。」
なつかしい赤色を目にして、いつものように、やわらかく微笑んだ。

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