制作とは何なのか

明日で黄金町での全活動がおわる。
それよりも私にとっては、昨年10月の個展からマイクロアートワーケーション、そのまま静岡でのリサーチに入り、無人駅の芸術祭、重なって始まった黄金町バザール、9ヶ月続いた発表、個展の準備は春からしていたのでとにかく1年のアウトプット続きが明日で終わる、という方が大きい。
もっと忙しく活動をしているアーティストが沢山いるけれど、私にとってはかなりギリギリだった。精神が不安定な状態が続いて周りにも大きく迷惑をかけてしまった。
明日で一つ、大きな区切りとして、しばらくアウトプットはお休みして、眠剤に助けてもらわなくても頭を休められるくらいには回復したい。
パフォーマンスを見てくださる方に申し訳ないくらい自分でも何がしたくてやっているのか分からない毎日だった。
したいことといえばただ眠り続けたい、だけど目を閉じても目むることはできない、黄金町バザールの期間はそんな日々だった。
明日が最終日だという感慨深さも今のところなく、終わったあとの搬出と引越の作業のことばかり考えている始末。本当に見てくれる方に申し訳なく思う。
ただ同じことを繰り返すパフォーマンスは、その日のメンタルに大きく左右され、指先が震えてままならない日もあり、なんとか気力を保つためにギリギリまで横になっている日も多かった。
制作とは何なのかを理解しないまま20年近く続けて、やっと、わたしは現代美術に興味がないということに気づいたのだった。気づくのが遅いけれどそもそもカテゴリーに興味がなく、現代美術というものがルールも無い自由な表現、くらいにしか思っていなかったのだと思う。
今は何も知らなかった頃の自由さを自分自身が無くしてしまったがゆえ不自由な表現になってしまい、制作とは、私がしたいこととは、私がしてきたこととは、何だったのか、ゆっくり考えてみたいなという気持ちでいる。
気持ちが不安定なときに大きな決断をしないほうがいい、というアドバイスはそうだな、と思ったので、制作をやめるという決断はまだ保留でいい。やってきたことから今ものすごく距離を感じているからこそ客観的に見て、一つずつの作品について振り返り、初めて自分の作品を鑑賞者の目で見るようなことが今ならできるかもしれない。
手元にはもう作品もなく、ろくにアーカイブもしていないけれど、まずは黄金町バザール2024のことから、一つ一つ自分自身の目で見て言葉にしていきたい。
セラピーとは深堀りすることだと今日聞いたけれど、私がなぜここまで長い間制作をしてきたのか、深掘りしてみれば、結果延命になるのかもしれない。

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