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ハガネの小鹿が砕けぬように(1)

夜八          …小規模の未来視演算が可能な【件】の少女。
ホロウ(H0110w) …人間と同様の感情を持つ青髪のアンドロイド。
和泉童子        …インフラ企業で生まれたクローンの鬼。
国分寺周防       …大食いで足の速い船舶。

ヘレン ミドルトン   …電霊に身をやつした大戦前の研究者。
フェリックス・クライン …胡散臭い四次元物理学の准教授。

1-1

机の上には湯気を立てるカップが6つ並び、ふんわりとした香りが応接間に広がる。「今日はコーヒーじゃないんだ?」と、青い髪のアンドロイド――ホロウは聞いた。
「ああ」そう答えるヘレンは眼帯にかかる白髪を少し直して、ホロウの分のカップへミルクを注いでやる。「紅茶に合うとっておきのチーズケーキが来ると聞いてな」
それを聞いて「ぷお」と国分寺周防が声を出す。依然海底のような瞳に輝きはないが、袖に隠れた手を待ちきれないと言わんばかりに動かしている。
「おまちどおさまです!」フワフワ浮かぶトレーを操作し終えて、和泉童子が席に着く。しっぽがぷるんとゆれる。
机の上には可愛らしく盛りつけられたチーズケーキが揃い、機角の少女がわあ!と手を合わせる。「夜八、まだだぞ」ヘレンが小さく笑う。
「――さて」と口に出して、背の高いサングラスの男が立ち上がった。「さて」
「皆さんお疲れ様です。高次元物理学会のフェリックス・クラインです」
と言いながら、彼の全身がぐにゃりと歪み、手足が複雑に折れて卍のような形状へと変化していく!
夜八とホロウが小さく悲鳴を上げるのに気づき、フェリックスはおや、と手元の携帯端末を操作する――すると、淡白な笑顔のままで彼の奇怪な体形が元に戻っていった。
「失礼、電脳系の干渉に使用した空間術式がまだ残っていたようですね」と、白衣の襟を整える。
「先ほどまで夜八さんの未来予測――【件式】の調査をしておりましたので」
それで2人は遅れたんですね と息をつきながらホロウは紅茶を一口含む。国分寺は、と言えば先ほどから微動だにせず、目の前のケーキ以外は何も見ていない。
「ふむ」フェリックスは見やり、ピエロのような空虚な笑顔を顔面に映し出す。
「まずは【函館グラビテリオリ試料回収臨時班】の皆様に参加を承諾いただいたことへの感謝をいたします。どうぞ食べてください」手を開く。
「食べながらで結構ですが、いくらか説明を――私が話してしまっても?」
よろしいですか?とヘレンに視線を向ける。白髪の少女は小さく頷いた。「では」
「ヘレンさんの研究室の現在の目的は、課員の能力水準の均一化を図ることにあります。つまり、四物が使用できない課員がこれを行使するための【バッテリー】と【トリガー】を作り、誰でもある程度の四物を扱える――非戦闘員でも護身ができる、非救護員でも治療ができる。という状態を目指すことが目的です。」
一呼吸おいて紅茶をわずかに飲み、フェリックスは話を続ける。
「そして今回の回収班は【バッテリー】の改良のための試料回収を目的とします。バッテリーの中身であるテオ細胞は、以前説明した通り“癌化した儀礼派の偉人の脳細胞”ですが、これをより健やかに保ってくれる重化ナナカマドの樹皮が――」
「すまない、樹皮よりも果実の方が有用なことが分かった」
そうヘレンが口をはさむ。微笑んでフェリックスが続ける。
重化ナナカマドの果実が必要です。これは近年定着した種で、函館ブロックで見られますが、四次元参照で日光を集め、周囲の光を屈折させる植物……
らしい。とのことです。詳細は未解明な部分も多いですが、現状は危険な種ではないと伺っております。
つきましては本計画立案者のヘレン・ミドルトンさん、私フェリックスを指揮として、環境課庁舎より指示やアドバイスを行い、皆さん――夜八さん、ホロウさん、和泉童子さん、国分寺周防さんには、直接函館ブロックへ向かっていただき、現地での試料回収をお願いしたいと思います。
メールでお配りしました資料をご確認いただければわかる通り、宿泊地と試料採集ポイントは目星をつけておきました。
……遠方ですので、プラン通りに事が進むかはわかりません。現地での判断を重視してください。
――出発は、本日1700です
時間を聞いて和泉が声を上げる「わー!あと2時間ですね!」「あと2時間ですか?!」こちらは夜八の上げた声だ。
「ずいぶん急ですね。明後日の1200に出発だと聞いていたはずですが」国分寺がケーキを食みながらアンテナに稲妻をひらめかせる。
それを受けてフェリックスは「はい。ここ最近【四界嵐】という異常気象が本庁舎と函館の試料採取地域の間で発生しており、それが弱まるタイミングで移動してしまった方がよいという話になりました」と答える。
【四界嵐】?聞き覚えのない単語が出ましたね」とホロウ。
「電磁波の反射と重力波の吸収を行うとされる、天然の四物ジャミングですね!こちらではあまり見られませんが、北部や遠洋ではよく見られますよ。一説では振動周波数が保存された複合多糖類がごく短時間の上昇気流に――」
「――つまり、あらゆる通信とすべての四物現象――魔法、精霊術、アーティファクト、権能を阻害する異常気象です。
和泉の説明をフェリックスが引き取る。和泉は気を悪くした様子もなく「そうです!」と続ける。
「これが間にあったところで移動には問題がない……とは思うのですが、万一環境課の課員さんが細切れのサイコロステーキになってしまうような事態があれば、皇課長に向ける顔もありませんし、私の心が痛みます」彼に心などあるのだろうか?虚無の笑顔で語るフェリックス。
「と、いうことですので。早速準備いたしましょう。ある程度は「わたしだよ?」
突然の大声に全員が動きを止め、応接間が静まり返る。
「……何で……こんなところにメ学が……いるのかしら……契約違反の企みごとをしているんじゃないでしょうね……」
と、ドアを開けずにドアからドス黒いピンクの監察が入ってくる。全員がノールックでケーキを膝にのせ、テーブルの下に隠す。
「何もありませんよ」ドアから近かったからだろうか、見下ろすように眺めてくる監察に応答する国分寺。――彼女の膝の上の皿は空だ。食べ始めの数秒以降、ずっと。
次に夜八が視線を浴びて「何もないです」と小さく答える。口の端にチーズがついている。
監察は少しあたりを見回して、しばらく眺めると「そうか」と床に沈んで消えていった。夜八とホロウがひきつった顔をしている。
「また嵐が来る前に、ケーキを食べて準備をいたしましょう。」フェリックスが手を打った。

1-2

環境課の新庁舎、裏口方面からバンをすべらせて2時間半、大型のフェリーが泊まる港。一行はチケットが風で飛ばないようにと握りしめ、各々が荷物を担ぐ。ヘレンは庁舎に残しているが、小型の鉛色をしたドローンからは彼女の声がする。
「大丈夫ですか?手伝いましょうか?」とホロウが和泉に声をかける。ひときわ大きい彼女のリュックは相当重いようだが、いそいそとそれを鬼瓦製の運搬機に括り付けて「大丈夫です!」とお返事を返す。
搭乗する小型のフェリーが着くと、国分寺が説明と注意事項を船員から聞きに向かう。「彼女が?」とヘレン。「ええ」とフェリックス。
「操縦慣れしているとは聞いているが……」とこぼすヘレンだが、いつの間に戻ったのかすぐ隣の国分寺が「大丈夫ですよ。決まったルートを進むだけですので、ワタシはあまり触る必要がないようです」と返す。
ふむ。とつぶやくヘレンのドローン。「この時代の乗り物はずいぶん便利だな」
いよいよ出航という時になって夜八が手荷物を待合席に忘れたり、和泉が妙に値段の張るお土産品を買いあさろうとしたり。少々悶着があったものの、無事に、何事もなく、順風満帆に、万事滞りなく、船は港を離れていった。
そうして海に出る。今はまだ風も強くはなく、汚染海域からも遠いため穏やかな水面が月を映しこんでいる。波の音とエンジンのうなりが聞こえる。塩化物と臭化物のイオンが渦巻いている。――すべてが海水に浸っている。
「うわ、すごいですね!!!」
「ずーっと海ですよ!月があんなに大きい!」
「なんだか…世界が…揺れていますね…」
はじめこそ元気いっぱいにはしゃいでいたホロウの声は、それほど間を置かずに弱弱しくなっていった。まさか、と思ってブリッジに向かうと、「船酔いですね」と国分寺に切り返される。
「アンドロイドなのに」「食事をするアンドロイドがいるのですから、船酔いをするアンドロイドもいるでしょう」
そう言いながらも、国分寺は華奢な義体をコクピットの前で正座させて目を閉じたままだった。
「コクピットに触らないんですか?」「触る必要はありません。ここから操作できます」アンテナから小さなアークが伸びる。
「魔法みたいですね…」「ただの物理現象ですよ」と、片目をあけて少し体の向きを変える。小さなアークが伸びる。
「ぉ……」と、ホロウの声色が変わり、「少しマシになりましたよ」と言うと、
「方向感覚系のセンサーに慣れない加速の信号が来るので、平衡感覚が狂うのです。今は地上同様の加速のない信号を送っています」
国分寺が袖を揺らして波を模すように話す。「国分寺さんがこれを?」「そうです。ボクがそれを」小さなアークがホロウの首のあたりをつつく。波の音がブリッジに染み渡る。
一方の客船部には和泉と夜八とが残っていた。荷物が多いため――やたらに多いために整理が必要だったのだ。フィナンシェ、おせんべい、防寒コート、ヌガー入りチョコレート・バー、外郎、ジュラルミンケース、ジュラルミンケース。ひと段落ついてどうしようかなと考えている間に、携帯端末の呼び出し音が響く。
『聞こえますか』携帯端末の画面いっぱいに不穏な笑顔が映る。きゃあと夜八は悲鳴をあげるが、和泉が代わりに返事をする「聞こえますよ、フェリックスさん!」
『失礼、カメラに近づきすぎたようです』今度は遠い。どうやらわざとやっているようで、制止するように動くヘレンのドローンがちらちらと映り込む。
『映像は送らなくてもよさそうですが、とにかく定時連絡は可能そうですね。そちらからも何かあればすぐに連絡してください。いつでもヘレンさんが出てくださいますよ』
少しの間
『いつでも私が相談に乗りますよ』夜八と和泉ははあと息をつく。『以上です。船旅をお楽しみください』聞いて、いや聞く前から和泉が甲板へと駆け出す。
『――ああ……っと、夜八さん』端末を切って和泉の元へ向かおうとした夜八に声がかかり、なんですか?と応じる。『ここ最近、そして今日も夜八さんに協力いただいた【件式】の解析についてですが』ハッとした顔で座りなおす夜八。
『――まだ手元で分かることは多くありません。先ほど許可が発行されましたので、追加分も含めてデータをメ学に送りました。専門家が詳しい解析にあたってくださるようです。
今回の回収業務の途中で結果が出る可能性があります。どういたしましょう、早めにお伝えした方が?』
「お願いします」夜八は返答する。では。と言って通話は切られた。

フェリーから遠く離れていった陸の上。ヘレンはおとなしく充電用の台の上でそのドローンを停止させていたが、ふとセンサーが明滅し、音声を拾う。
「この班、環境課の外界を見慣れていない課員が多いように見えたが、どういった人選だ?」と尋ねる。
「そういった人選ですよ」フェリックスは微笑む。その表情にため息をつきながらヘレンは言った。
「よい船出を祈るばかりだ」

#VRC環境課