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#0127【耐えるときに耐えてこその勇気(韓信)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。
今週は古代中国から「前漢時代の高祖劉邦を支えた三英傑」を紹介します。

BC221年に秦の始皇帝によって統一された中国は、始皇帝の死後数年で瓦解し、その天下は項羽と劉邦の二人の間で争われることになります。

BC202年に劉邦が勝利し、彼は皇帝に即位します。
以後、前漢の高祖と呼ばれるようになります。

彼には三人の優秀な部下がおり、彼らのお陰で天下が取れたと考えられております。

項羽は戦場に出ては最強を誇りましたが、若さゆえの力自慢が多く人に任せることができませんでした。

高祖は本人自身は教養もなく、武術に秀でていたわけでもありませんが、人を使うことに抜群の才能があり、部下のモチベーションアップが得意でした。

三英傑の一人、韓信は項羽の下にいましたが、出世の糸口が見いだせず、高祖の下へと移籍してきました。

韓信は、若い頃は見栄えも悪く、学問はあっても生活力がなかったため周囲から馬鹿にされていました。

あるときには町のチンピラから「その腰にある剣は見せかけか?見せかけでないなら俺をそれで突いてみろ。できないのであれば、俺の股下をくぐれ。」と恫喝されます。

韓信はぐっとこらえて、チンピラの股の間をくぐりました。ここで彼を殺しても殺人犯になるだけであると思っての行動でしたが、周囲からは「股夫(こふ)」と罵られるようになりました。

そういったエピソードもあったことから最初、高祖にも用いられず、丞相(じょうしょう:総理大臣)の蕭何(しょうか)からの推薦をもって、大将軍に任じられることになりました。

大将軍に任じられた韓信はその才能を遺憾なく発揮します。あるときは10倍の敵を相手に兵法の常道を無視した「背水の陣」を敷いて大勝します。

戦勝後の宴会で「定石を無視した陣形で、なぜ勝てたのでしょうか」と聞かれ「兵法書には兵士は逃げ場のない死地において本気で戦うとある。それを応用したまでのこと。」と返し、現場の信頼を一手に引き受けます。

向かうところ敵なしで項羽を滅ぼすにあたって大功のあった韓信の処遇に天下統一後の高祖は悩みます。

下手をすれば、自分の地位など奪われてしまうかもしれない。

高祖は韓信を陥れ、階級を下げて全ての実権を奪いました。

韓信は鬱々として楽しまず、心の中に謀反心が生まれます。高祖へ不満を持つ勢力と手を結び首都での反乱を企画しますが、それが露見してしまいました。

最後は蕭何の手によって処断された韓信。

後世において、韓信は蕭何の手によって出世し、蕭何の手によって滅んだと評されます。

戦場での強さと政治力は比例しない点は、日本でも源義経などがあたるといえるでしょう。

「狡兎(こうと)死して走狗(そうく)烹られ、高鳥尽きて良弓蔵(かく)る」

ずる賢いウサギがいなくなれば、猟犬は不要となるため、食べられてしまい、高いところを飛ぶ鳥がいなくなれば、良い弓も片付けられてしまいます。

天下統一には必要だった韓信も平和時には不要となって処分されてしまいました。

以上、本日の歴史小話でした!

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発行人:李東潤(りとんゆん)
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