#0024【則天武后(中国、7C後半-8C初)】
こんばんは! 1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。
女性特集の最後は、中国史上「唯一」女性で皇帝に即位した則天武后(そくてんぶこう)です。
皇帝に即位していた事実を隠す意図もあり、則天武「后」と呼ばれていますが、690年から705年の15年間、皇帝として君臨しました。皇帝に即位した事実を重視して、武則天(ぶそくてん)と呼ばれることもあります。
彼女は則天文字と呼ばれる独自の漢字を数十個作ったことでも有名です。水戸黄門の徳川光圀(みつくに)の「圀」という字も、その一つです。
則天武后が世に出てきたとき、中国は唐王朝でした。唐の時代は中国の歴史の中でも非常に安定しており、東アジアにおける絶対的な地位を占めていました。日本からも遣唐使船を派遣し、多くの文物をはじめ、思想や政治制度などの影響を受けました。
638年、14歳だった則天武后は唐の二代目皇帝である太宗の妻の一人となります。美しい女性だったと伝えられていますが、太宗が則天武后を特に寵愛したという事実は残っていません。妻としての身分も低い方でした。
その代り、則天武后は太宗の三男坊であった李治(りち)とただならぬ関係になります。父親の嫁に息子が手を出したのです。(二人が関係を持ったのは太宗の死後という説あり。)
太宗と正妻の間には、李治の他に長男・次男がいました。特に次男が優秀だったと伝えらえていますが、両者は激しく対立します。その結果、平凡な李治が後継者となりました。
長男か次男のどちらかを後継者にした場合、指名されなかった方が殺されてしまうことを恐れての太宗の判断でした。
太宗の死後、649年に李治は皇帝に即位します。太宗の菩提を弔うために出家させられていた則天武后を強引に自分の妻にしました。父の妻だった人を自分の妻にすることは倫理に反すると多くの家臣が抵抗しますが、一部の重臣の助けを得て実現しました。
則天武后は宮殿に戻ったあと、その時の皇后(妻の最上級)であった王氏に取り入ります。
王氏には子どもがいなかったため、子どもを産んだ蕭氏(しょうし)と対立していました。その対立に目を付けた則天武后は自分が子どもを産むことによって、蕭氏から李治の寵愛を奪い取ることを王氏に提案します。則天武后が王氏に忠誠を誓うとの条件の下、王氏は同意しました。
李治と則天武后は、もともと深い仲だったこともあり、すぐに息子・娘に恵まれます。蕭氏は排除され、喜んだ王氏は無邪気に則天武后の身分を上げていきました。
ある日、王氏は則天武后が不在中の部屋にやってきて、生まれたばかりの則天武后の娘をあやして帰ります。則天武后が部屋に戻ってくると、なんと娘が死んでいました。周囲の人間に確認すると「不在中にいらしたのは王氏だけです。」と震えながら答えます。
王氏が則天武后に嫉妬して殺したものと認定され、王氏は追放されました。この事件は、王氏を排除するために則天武后自身が幼い娘に手をかけたものと言われています。
655年、反対勢力を一掃した則天武后は遂に皇后になり、李治とともに政治を行います。やがて平凡な李治よりも優秀な則天武后の判断が尊重されるようになり、李治は則天武后の完全な言いなりとなってしまいました。
683年に李治が死去すると、則天武后は自分と李治の間に生まれた息子たちを皇帝に据えていきますが、690年には自分の息子すらも追放して彼女自身が皇帝に即位しました。
歴史上、中国を始めとした儒教社会は女性が政治をすることに批判的でした。その中で、則天武后が中国史上唯一の女帝になれたのは何故なのでしょうか?
彼女自身が優秀だったことはもちろんですが、その強みは人材を発掘する力でした。非常に人を見る目があり、多くの優秀な人材を身分に関わらず積極的に登用しました。
その背景には、既存勢力を排除して権力を握ったため、それ以外の階層から人材を登用するしかなかったという事情もありました。しかし、彼女の登用した人材は、その反発を黙らせることができるだけの見事な実績をあげていきます。
則天武后の政治について、民衆の生活に大きな乱れがなかった点を後世の歴史家たちは評価しています。また朝鮮半島で勢いのあった高句麗(こうくり)を滅ぼした点も大きな功績の一つです。一方、自分の権力維持のために密告制度を整え、恐怖政治を行ったとの批判もあります。
705年2月、年老いた則天武后は病に倒れます。その隙にクーデターが起こり、追放されていた彼女の息子が皇帝に返り咲きました。則天武后は、同年12月に失意のうちに病死します。
則天武后の死後、彼女の息子は周囲の反対を押し切って、則天武后を父の李治と同じ墓に葬ります。
国家をあげてのカカア天下だったとはいえ、父と母が深く愛し合っていたことを息子が理解していた上での判断だったとしたら。今も二人は変わらず一緒に眠っています。
以上、今週の歴史小話でした!
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