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#0197【才知を活かす若者(商鞅①、中国)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。
今週は中国の史記から壮絶な人生を歩んだ人物を紹介しています。

今回は商鞅(しょうおう)を取り上げたいと思います。

商鞅は本名を公孫鞅(こうそんおう)といい、公孫が姓です。商は、彼が後に領地としてもらった土地名です。

徳川光圀のことを領地にちなんで、水戸光圀と呼ぶようなイメージです。

ここでは商鞅で通したいと思います。

さて、この商鞅、若い頃から優秀な人物でした。特に中国戦国時代における黄河中流域にあった新興国家「魏(ぎ)」の宰相に気に入られます。

彼の秘書として政治の妙味に触れながら研鑽を積みます。

しかし、この宰相が病に倒れてしまいます。

宰相は自分の死期が近いことを悟ると、見舞いにやってきた魏王に対してこう進言します。

「私の死後は商鞅を重く用いてください。彼は逸材です。もし魏の国外に出るようなことがあれば、魏にとって災いとなります。もし、重く用いないのであれば、商鞅を殺してしまいなさい。」

魏王は宰相に対して、分かった分かったとあまり真剣に取り合わない姿を見せます。

宰相は、魏王は商鞅のことを若いとみて侮り、重く用いる気がないと悟ります。

病床にあってモヤモヤした気分にあった宰相は、結局商鞅を呼び、こう告げます。

「私は、王様にお前(商鞅)を重く用いてください。さもなければ殺すようにと伝えた。しかし、王様は重く用いる気配がない。であれば、魏のためにはお前を殺すべきだが、お前のような逸材が殺されてしまうのは忍びない。どうか他国に逃げてくれ。」

商鞅は、心配する宰相にこう返します。

「王様が私を重く用いなさいという言葉を取り上げないのであれば、殺せということもお命じにならないでしょう。」

宰相は、この言葉にハッとしてその通りだなと思いました。

商鞅は、宰相が死にその葬儀が終わるまで魏に留まりました。そして、彼の身には何も起きませんでした。

重く用いられることもないのであればと、立身出世を目指して、西の新興国家「秦(しん)」へと向かいます。

当時の秦は代替わりが続き、殉死が相次いだことから国力の低下が著しい状態でした。

人材不足を補うべく、他国からも沢山の人材登用を進めていた最中です。

若い商鞅は、秦の地において自分の才覚を示そうと勇躍旅立ちます。

秦で彼に待ち受ける運命とは。次回に続きます。

以上、本日の歴史小話でした!

(続き:No.198【改革者の末路と改革の栄光(商鞅②、中国)】)

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発行人:李東潤(りとんゆん)
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