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#12 この世をば我が世だぞ、藤原道長と摂関政治の絶頂期

このエピソードで学ぶこと

京の都に対する地方の反乱も鎮圧され、
藤原氏は我が世の春を迎えます。
この世をば、我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思えば
藤原道長と摂関政治について学びましょう。

本編(0分51秒)

・関東で起きた平将門の乱は鎮圧された。西では瀬戸内海で藤原純友の乱も鎮圧された。
・反乱が失敗した結果、地方の有力者たちは京都の大貴族への貢物を増やしていくという流れが発生。
・この流れで藤原道長が登場し、自分の娘4人を天皇のお后にし、藤原氏の力が大きくなっていく。
・天皇のお母さんのお父さん(外祖父)という立場で、藤原道長は力の源泉にしていく。
・しかし、これは出産という生物的な要素に左右されるため、やがて天皇の外祖父という立場を失う。
・藤原氏が権力を握ることによって、文化へのスポンサーとなる。
・とはいえ、地方からの搾取が加速していったこともあり、この時代の信仰・思想として、仏教の一宗派として極楽往生を阿弥陀如来に祈る浄土教が出てきた。

今回のおさらい(12分36秒)

Q1:藤原氏はどうやって権力を握ったの?
→自分の娘を天皇に嫁がせ、生まれた男の子を天皇にする
Q2:藤原氏にはどんな収入があったの?
→国家の官職に伴う収入、自分たちの私有する荘園、そして自分たちが出世させた人たちからの奉仕
Q3:藤原氏に権力と富が集中した良い影響は?
→文化的なスポンサーともなり、枕草子や源氏物語などの文学が発展した。
Q4:この時代に流行り始めた信仰・思想は?
→仏教の一宗派で、極楽往生を阿弥陀如来(あみだにょらい)に祈る浄土教

次回予告(13分25秒)

我が世の春を謳歌した藤原道長。
しかし、彼ら藤原一族の絶頂は長く続きませんでした。
彼らが権力を握れたのは、自分の娘を天皇に嫁がせ、生まれた男の子を天皇にする点にありました。
現代においても妊娠・出産は人の自由にできるものではありません。
やがて、藤原氏を母としない天皇が出てくることになります。
次回、権力構造の変化、天皇の母方のお祖父ちゃんより天皇のお父さんの方が偉いんだ。お楽しみに。

次のエピソード⇒#13_わたし、天皇のお父さんなんですけど。院政の始まりと白河上皇

前のエピソード⇒#11_京の都での出世は諦めても断ち切れない中央との関係。地方の発展と反乱


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