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#0185【スパルタ教育の発祥(ギリシアのポリス国家、BC900年頃~BC500年頃)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。

BC1200年頃に突如としてエーゲ文明が滅亡してから、現ギリシャとトルコ西岸部を含んだ地中海世界は、約400年間の暗黒時代という文字記録のない時代となりました。

発掘調査によれば、ギリシアで文化が消滅したわけではなく、その期間においても後期エーゲ文明を基にして進化した土器が作成されており、BC900年頃からは人々の集住が確認されています。

BC900年以前は、他文明(エジプトやメソポタミア)などの交易記録にも現れず、大規模な遺跡も見つかっていません。

BC800年ごろになると、徐々にギリシア各地に都市国家「ポリス」が誕生していきます。

代表的なものが、現ギリシャの首都となっている「アテネ」。あるいはスパルタ式教育の「スパルタ」です。

さらに、この頃になると後期エーゲ文明の叙事詩であるホメロスの作品が流行し、これは古代ギリシア人の民族意識と倫理規範の拠り所になりました。

長らく、ホメロスの叙事詩は創作と思われていましたが、19世紀にシュリーマンによってトロイア遺跡が発見され、その実在性が証明されました。

エーゲ文明は文字と共に滅びましたが、エーゲ文明での出来事・歴史は口頭で400年の間も脈々と古代ギリシア人に残っていたのです。

ホメロスの叙事詩などの文学作品がこの頃に残されたのは、地中海一帯での貿易・交易に従事していたフェニキア人(ポエニ戦争参照)との接触によってアルファベットが成立したことが重要要因です。

約400年の時を経て、古代ギリシアは新しい「文」字を手に入れ、暗黒時代の暗闇から「明」るさを取り戻し、古代ギリシア「文明」の新しい幕開けが始まったのです。

文明の発展には交易や商業の発展が欠かせませんが、それを支えるためには他国や海賊などからの干渉を防ぐ装置として軍事力が必要でした。

アテネは海軍力を中心に力をつけていき、スパルタは陸軍力を中心に力をつけていきます。

政治体制も各々別形態をとっていきます。

アテネは最初は貴族・平民・奴隷と分かれていましたが、商業の発達により平民も経済力を持ち、自分で武具を買って重装歩兵となって戦争に参加するようになります。武具が買えない平民でも船の漕ぎ手などで戦争に参加して、発言権を強めていきます。

やがて、貴族階層はなくなり民主政治の基盤が整っていきました。

一方、スパルタでは少数の参政権を持つ市民が、参政権のない市民と奴隷を支配する政治形態をとります。そのため、反乱を防ぐためにも優秀な戦士を育成する必要から「厳しい教育=スパルタ式教育」を幼少期から男子に施すようになりました。

スパルタはアテネと違い、商業ではなく農業中心の鎖国主義を取っていきます。

方向性は違えども、古代ギリシャの経済力は高まっていき、この時代のこの地方における有力な勢力圏を築いていくようになるのですが、これを現トルコにあった超大国が目障りに思い始めます。

アケメネス朝ペルシア(No.138「アケメネス朝ペルシア」参照)との衝突、ペルシア戦争の勃発です。

以上、本日の歴史小話でした!

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発行人:李東潤(りとんゆん)
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