気づけている、ということ

いいときは言わずもがな、だけど

しんだいときに「しんだい」と
たすけてほしいときには「たすけて」と
いやなときには「いやだ」と
言えることって大事やな、と

当たり前のことかもしれんけど
それができないことが多かった。

そもそも
しんだい、とか
たすけて、とか
いやだ、とか
(他にもいろいろあるけどね)
無意識レベルで
自分自身がどういう感情なのか
はたまたどういう状態なのかに
気づけているかも重要で

気づけたらもう
ドアのノブは目の前にあって
そこから出ていくとか
もうちょっとそこにいてみる(いつでも出られる)とか
とにかく
流れができるようになる。
 
だから
気づけるということは
それだけでしあわせの鍵を持ってるってことだ。

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