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記事一覧

福島第一原発まで1キロ 放射能街道を行く〜原発事故が起きると街はどうなるのか

 福島第一原発を中心に「帰還困難区域」と政府が名付けたエリアが今も広がっている。  要す…

1,000〜
割引あり

津波と放射能汚染で消えた街・JR常磐線・富岡駅前

 2011年の東日本大震災後、フクシマに取材に行くと、よく足を運ぶ場所がある。福島第一原発か…

3,000

今も故郷に帰れない富岡町民に聞く:6年以上 何も変わらない 知らぬ間に自宅は壊さ…

 前回の本欄で、福島第一原発事故による放射能汚染でできた「立入禁止区域」と「帰還可能区…

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放射能汚染で分断された街・富岡町からの報告 立入禁止区域内のほうが外より線量が低…

 2017年10月17日から20日まで、福島第一原発事故の被災地である富岡町から浪江町にかけての地…

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いつの間にか国は「事故が起きたら原発周辺住民の被曝はやむなし」に政策転換 原子力…

 万一、再び福島第一原発のような事故が起きて、放射性物質が周辺に大量に漏れたとき、次回は…

3,000

福島第一原発復旧工事で白血病にかかった作業員に聞く「おれたち作業員は捨て駒なのか…

 福島第一原発事故で漏れ出した放射線で、健康被害が起きるのか。起きるとしたら、どんな病気…

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フクシマからの報告(下)「カネは人を変えてしまう」原発事故が引き裂いた山村の絆

 2017年春、福島第一原発事故の被災地を訪れた取材記録の3回目を書く。今年3月末、政府が「除染は終わった」として「避難指示」を解除し「平時」に戻すことを宣言した、福島県飯舘村、浪江町などを取材して回った。その報告である。  今回は、飯舘村に最初に帰った村人の一人、愛澤文良さん(75)に話を聞きに行った。3・11直後、現地に知り合いのいない私に、飯舘村についての初歩知識をコーチし、案内をしてくれた、愛澤卓見さん(46)のお父さんである。  卓見さんは、インターネットで村の

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フクシマからの報告(中)政府が「避難指示解除」して1年経っても住民が戻らない理由

 前回に引き続き、政府が「避難指示」を解除した福島第一原発の周辺地域からの報告を書く。 …

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桜咲く山里に村人は帰れるのか(上)3000本植樹 帰村への執念はなぜ

 2017年4月23日、私はサクラの花がほころび始めた福島県飯舘村を訪れた。標高約500メ…

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福島第一原発から4キロの町 6年ぶりの居住制限解除 住民の半分「もう戻らない」

 2017年2月3〜5日にかけて福島県南相馬市南部の小高地区〜浪江町を訪ねた写真レポートの三回…

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放射能が6年間封印した街 時計は今も2011年3月11日のまま

 前回に続いて、福島第一原発事故による放射能汚染のため、6年間ほぼ無人のまま封印されてき…

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3・11から6年 津波に破壊されたままの姿で 小学校は眠る

 2017年2月3日から5日にかけて、福島第一原発事故の影響で放射性物質の汚染を受けた福島県浪…

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原子力安全保安院 平岡英治・元次長  5年余の沈黙を破り 福島第一原発事故をふり…

 2011年3月の福島第一原発事故のとき、官界の代表として首相官邸で住民避難政策の策定に…

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原子力安全保安院 平岡英治・元次長  5年余の沈黙を破る 9時間インタビュー(中)

  2011年3月に起きた福島第一原発事故当時、原子力安全・保安院のナンバー2だった平岡英治・元次長のインタビュー2回目を公開する。平岡次長は、2011年3月11日の地震発生直後から原発対策のための本部に入り、同日午後7時過ぎからは首相官邸に詰めて菅直人総理、海江田万里経産大臣ら政治家職や班目春樹・原子力安全委員長(いずれも当時)と住民の避難策や暴走する原子炉への対応を決めるプロセスに参加した当事者である。その当事者が5年余りぶりに沈黙を破った。全部で9時間、8万字におよぶ詳

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