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私は自分が体験したことしか信じられない、そんな人間だ。嫌なことも辛いことも全部私の中に生きている。

昔は優等生だった私の話をしよう。

すごく厭味ったらしい書き出しになっていることは百も承知だ。よく考えたら、よく考えなくても分かることかもしれないけれど、私が体験したことやせいぜい見聞きしたことぐらいしか私は書けないのだから、ないものねだりをしたって仕方ないと開き直り始めた。

私が優等生だったのは小学生までで、それより後は基本的に普通以下の落ちこぼれだったりもする。

勉強が出来ないと思ったことなんてほとんどなかった。運動もそう。基本的に全ての一番が当たり前で生きてきた。音楽は少し苦手だったけれど、ピアノをやることで普通ぐらいにはなっていた。褒められることが嬉しかったぐらいの気持ちがどこかで肥大化して、一番であることが当たり前の人間を形成していった。努力したら出来ないことはないと思っていたし、努力できないということの意味が全く分かっていなかった。やりたいならやればいいし、やりたくないってことは仕方ないね。みたいな感じ。そのやりたくない気持ちがどこから来ているのかも知ろうとせずに、人を馬鹿にしていた。

中学に入って成績こそは下がったものの、別にやりたい勉強の時は点数をあげることも出来たから出来ないというのは少し違うのかもしれない。英語の出来なさに焦ることもあったけれど、やる気がある時のテストはなんとかなっていた。

だから、このまま勉強だけで生きていってはこの狭い世界から見方の変えられない人間になると思って、芸術の方向に進んだ。「常識」からすれば意味が不明である。あと少し勉強をしておけば少なくとも学歴も、新卒でいい会社に入ることも出来たはずなのに、自分で手放した。それを阿呆だと笑わない友人たちだけが私の周りに残り、両親も今では何となくそのモラトリアムの意味に気が付いている。弟は多分一生理解しないだろうけれど。

芸術の世界では当たり前のことながら今まで学歴や成績で評価されてきた部分が0で評価される。友人たちが大学で学んでいる間に、私は自分だけで評価されることを経験して、苦労して、模索した。学歴や実績で入社を決める会社よりもある種シビアだ。社会のレッテルが私を蝕んでいくのとただ一人で馬鹿みたいに戦った。途中から何がしたいのか分からなくもなった。その厳しさに浸かって、得たのは精神を病んだ経験ぐらいかと思っていたけれど、最近そうでもないなと思いはじめた。

びっくりするぐらい「人当たりの良さ」を褒めていただく機会が増えたのだ。ありがたいことに、話していて嫌な感じがしないのはなんでですか?ってフレーズを何度もいただくようになった。

中身がこんなに矛盾だらけでどこかで人を見下したような物言いをしているのはさておいて、初対面やそれに近い状況でそれを褒めていただけるようになったのはいろいろな立場に身を置くことで得たものなのだ。本当に色んな人に出会った。勉強から得た鋭さだけじゃなく、人の文脈で理解しようとすること、相手の立場を考えるようになれたこと、それでいて自分のメンタルを保てるようになったのは多分学歴をそのまま形成していたIFの自分であればありえないことなのだと思う。いや、あの状況で学歴をそのまま形成するには高校を中退してしまって大検から大学に入るとかしか方法はなかったはずなので、IFなんてものは最初からなかったのかもしれない。

もともと性格が悪いとは思っていなかったし、人を貶めることはしない代わりに自分の努力は惜しまないで勝つタイプだった。その分相手の気持ちを汲み取りすぎて影響されたり、自我のバランスがとりずらくなって飲まれたりした。苦しくて仕方がなかった時も、何でも人のせいにした時もある。繊細過ぎる心に悩んだ時も、泣き喚いた夜もある。学校に行けずにベッドに横たわったままの日も、母に包丁でどつかれた時も、首を絞められて初めて死にそうになった時も覚えている。

そうした経験の一つ一つが、人はそれぞれ苦しんでいることぐらいある。って私の根に刻み込んでくれている。だから、最近よく言われる「嫌な感じがしない」という言葉につながってくるのだろうなと思っている。

あと苦しんだことがないのをずるいというのだけはやめていて、分割してくるべき人生の課題が一気に来ただけみたいな捉え方をしている。勿論完璧にできた人間じゃないから、羨ましく思うことも出来ない自分を嘆く日もあるけれど、そこで止まってどうすると思うようになってきた。不安になる日は不安になるし、落ち込むときは落ち込むことをゆるして、それから次の手を打とうみたいな気持ちが私のど真ん中に出来たのだ。

私は人生はつながっているから、どこかでその経験を無駄にしないようにすればいいと思っている。私の親友は紀元前と紀元後ぐらいに自分の人生を切り離して前のことは仕方ないから、後はこれから最高の今をつくっていこうみたいな考え方をしていて、それはそれで一理ある。

優しい恋人がいなくても、仕事の大成功や潤沢なお金がなくても、考え方で案外人は立ち直れるものだといってみたかった。


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