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わたしの二番目の恋の話をしよう

わたしの二番目の恋。それは小学一年生の頃。「恋」なんてたいそうな言い方をしてみたけれど、何てことない子供の記憶。

幼い頃のわたしといえば、クラスで分からないと困っている人の宿題を全てやってしまったり、誰も進んでやりたがらない人前に立ってやる仕事をずっとやり続けすぎて先生に「一度やった人は出来ない」とルールを書き加えられたり、クラスのガキ大将に歯向かってカチューシャを割られたりしていた。ちょっとした問題行動として親が担任に呼ばれたのは今だから分かる話だ。コーヒー牛乳が飲めなくて給食の初日から水道に捨てに行ったり、お皿を割って泣きわめいたりもしていていた。

習い事があったから、毎日友達と遊ぶなんてことは出来なくて、週に二回ぐらいだったと思う。だからか友達と公園で遊んだことや野球をした日のことはすごく良く覚えている。

いわゆる優等生で、何でも出来る、勝ち気の女の子だった。といえば、なんとなく想像に難くないんじゃないだろうか。どんな学校にも一人ぐらいいるだろうと思う。

もう少し物静かなところがあれば人生も変わったんじゃないかと思うが、やられたらやり返すがモットーだったらしく、体格の違う男の子に殴られては殴り返し、何かと喧嘩と傷の多い小学生でもあった。

とある男の子と隣の席になった。隣ということは多分私に宿題をやられてしまっていただろうことは想像に難くない。もう名前も忘れてしまったからAくんにしよう。Aくんがどんな人だったかは今となってはさっぱり思い出せないが、よくもわるくも目立つような子でなかったことは確かだ。

Aくんが引っ越す前日に、わたしと複数の子たちとAくんは遊んでいた。ロケット台みたいなのが中央にある公園。わたしの家からは遠いその公園にわざわざ行ったことがそもそも珍しい。彼は木に登ってモミジを取ってくれたのだ。みんなを木の下によんで緑のままの葉を綺麗な形のまま一枚ずつ手渡してくれた。

「ありがとう」

Aくんはみんなにそう言った。女の子たちはもらうと散っていってしまった。出しゃばりなわたしにはめずらしく、もらう列の最後尾にいたから、木から降りてくる彼をなんとなく見ていたのだ。

「ねえ、ましろさん」

降りてくる途中にある白い塀みたいなところから彼が叫んだ。猫が通るような狭くて細いところ、木と地面の中間に半ズボンのAくんが立っていた。

「これ、いる?」

真っ赤に染まった紅葉がAくんの手の中にあった。そんなにきれいな色に染まったの、さっきはなかったのに。

「いいの?」

「ましろさんにはいっぱいたすけられたから、とくべつ」

子供の言葉だ。

一字一句合っているわけではないけれど、彼はわたしに「とくべつ」といってはにかみながら真っ赤なモミジを手渡してくれた。わたしの手には二枚の色違いのモミジ。わたしだけが持っているとくべつな葉っぱ。

そのことだけは覚えている。彼の背の向こうには先だけ赤く染まった緑の葉がいっぱいに広がっていた。

あの瞬間の笑顔とひだまりと二枚のモミジのことを「恋」と呼ばないなら、この世の何が「恋」になるだろう。

この話に続きも、それからも、ない。これがはじまりでこれがおわりだ。

私は彼の名前を忘れてしまったし、顔の輪郭だってもはや怪しい。けれど、あの時笑った顔と陽の光、私の中に残るうるさい心臓の音は確かにそこにあったのだ。



グミを食べながら書いています。書くことを続けるためのグミ代に使わせていただきます。