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「つらさ」や「違和感」は新しい世界をみせてくれるきっかけになる

学生たちの夏休みが終わろうとしてますね。私の夏休みは一週間くらい前に終わりました笑
今年の夏は、ほぼ毎年いっている海外旅行にもいかず、車のレース活動と夏のデザートつくりと、それを友達に食べてもらうことと、
あとは、ほぼ毎晩友達と飲んだりして10日間過ごしました
いい夏休みだった!

けど、夏休みは楽しくても夏休み明けの日々を想像するとつらい人たちがたくさんいるんですよね。
そう、この時期は10代の自殺が一番多くなる時期です。
私も学校生活だけでいくと記憶が断片的にあるくらいで、日々どんなだったか全く思い出せないくらい学校が好きじゃなかった。
特に中学校。あんまり友達っていう友達もいなかったな。今日はその時のことを書いてみようと思います。

■「みんなと一緒」がとにかく窮屈で「違和感」を感じていた

私は教室とか、クラスでの行事の記憶がほとんどない。体育祭・文化祭・合唱祭、、、
普通の公立中学の普通のカリキュラムだと思うけど、こうした集団行動を鍛える行事が何かと多い。
全部苦手だった。
なんでやるのかわからなかったし、やりたくないやつがいるのを泣きながらまとめるリーダー的な真面目な子とか見てるのもバカバカしかった。
ほら、体育とかみんなが得意なわけじゃないし、みんなが歌を歌うのが得意なわけじゃない。苦手なことを頑張ってやるみたいなことが美しい!子供らしい!
みたいなのってちょっと違うよねって思ってた。今からしてみればちょっと冷めた子だったし、「大人すぎた」かもしれない。

学校生活ではあまり、個人の意見や行動は尊重されないと記憶している。
多数決でなんでも決まるし、だいたい先生が頭の中で決まっていることをあたかも生徒たちに考えさせたかのように物事が進んでいってた。
(今の学校は違うかもしれないから、当時の記憶で当時私が思ってたことなので、学校の先生を批判しようという気持ちはありません)
あと、ちょっと変わったことを言う人のことを、排除するような空気があった。
当時のことが鮮明に記憶に残っていないけど、私が国語の授業で答えた内容がちょっと正解と違っていて、しかもちょっと変わった回答をした時に笑われて、
そこから変わったやつ扱いをされるようになった。
めっちゃ些細なことで、「みんな」はすぐに「みんなと違う人」を排除する。
コミュニティが小さいからしょうがないかもしれないけど、あまりにも理不尽だよね。
そもそも「みんな」っていう存在があるのか、違和感を抱いていた。

■クラスとは別のコミュニティを持つことにした

40人のクラスっていうコミュニティは私にとってめちゃめちゃ窮屈だった。
なんで四六時中同じ人たちと行動を共にするのか訳がわからなかったし、「変わったやつ」っていうレッテルを貼られた状態で見られるのも嫌だった。

ということで、私はある時から休み時間になると保健室に入り浸るようになった。なんで保健室だったか覚えてないけど、当時保健委員をやっていたからという単純な理由だったと思う。
(うちの中学校では、生徒は何かしら委員会にはいる)
保健室には、保健の先生が必ずいる。あと、いろんな学年のいろんな生徒が集まる。
保健の先生ってちょっと先生の中でも特殊な感じ。担任や教科をもたないし、いつも保健室にいる。先生ぽくなかった。
なんでも話せたし、話した内容は全部秘密にしてくれた。
大人との話は純粋に楽しかった。
そんなこんなで、保健の先生と仲良くなって、保健室にいることも当たり前になって、気がついたら保健委員長になってた。
委員長が保健室にいるから、他の子達も保健室に集まるようになった。

このいろんな居場所をつくるみたいなことは高校に進学した後もやってたな。とにかくクラスにいるとなぜか窮屈さを感じるみたいで、別のクラスの子のところにいったり、図書館にいったりしていた。
会社で働くようになった今でも、あんまり一定の人たちとずっといないようにしている。

■「みんな」と付き合うことをやめたら足が軽くなった

きっと、「みんな」っていう存在はない。個人個人の集まりで、クラスっていう組織ができあがっているのにすぎない。新しいコミュニティに足を踏み入れる時は一人だ。一人の個人ととして誰かと関わったからそのことがわかった。個人と個人で付き合うと相手の顔がちゃんと見えて、人のことを知るのは楽しかったし、もっと誰かのことを知りたいと思った。そのことは、今の私の生き方にも大分影響を与えてる。

■新しい出会いは新しい扉を開いてくれる

これまでと違うことをしだすと、それが楽しくなってくる。クラスの世界から外に出てみると、もっと外の世界をみたくなった。

音楽が好きであったことと、当時CDショップに行くのが好きでタワレコに行った記憶がある。そこで「NO MUSIC NO LIFE」の広告と出会う。
この広告、めちゃめちゃかっこよかった。今みてもかっこよくて、好きな広告だし、きっと人生を変えてくれた広告。

で、「このポスターほしい!」と思って、インターネットを調べていたら、この広告を作ったクリエイティブディレクターの箭内道彦さんという方を知った。
中学生からみて、「クリエイティブディレクター」って何してる人なのか全く想像できない職業だったけど、この箭内道彦さんのルックス含め、超かっこいい!と思うようになって、
そこから、「箭内道彦」でインターネットを検索し始めた。
そこで出会ったのが「シブヤ大学」だった。(箭内さんが立ち上げに関わっていて、立ち上げたばっかの頃、授業をやっていた。)
シブヤ大学は、渋谷の街全体をキャンパスに見立て、こどもから大人まで、どんな人たちだって学び合う場所をつくっているNPO法人。
毎月第三土曜日に無料で8講座くらい授業をやってる。
詳しくはこちら⇩


箭内さん以上にシブヤ大学に惹かれた。
「いろんな人がいる教室」、「いろんな人と一緒に学ぶ」って面白そう!!と心が躍った。
学校が没個性で多様性がないと思っていた私にとって、そんな学校がとても魅力的に見えたし、そんな場所がこの世界にはあると思って、未来にちょっと期待ができた気がした。

■中学時代がもしめちゃめちゃ楽しくて、クラスに友達がたくさんいたら、今の楽しい生活はなかったかもしれない

このあと、私は実際に授業に行こうとするんだけど、当時渋谷はちょっと遠くてオトナの街で、NPOが親にとって怪しさを孕む組織だったが故に、授業には参加できなった。笑
けど、高校2年生で初めて授業に参加したとき、あたらしい学びを経験したような気がして超ワクワクした。
授業の内容については割愛するけど、その場に参加した世代や国が違う人たちとのグループワークは楽しかったし、自分の意見が尊重されたことも嬉しかった。

この後のことをもうちょっと話すと、大学の学部を決めるときもこういう学びのあり方を勉強できそうなところがいいなと思って、進学したし、大学2年生の終わりの頃に本当にたまたまだったけど、シブヤ大学のインターンをできることになった。
そして、本当はやるはずじゃなかったのに2年間もインターンをやって、大学を卒業して、仕事を見つけた。
仕事をみつけるときもこの時の経験や価値観が色濃く反映されているし、仕事をしている今でも、インターンの時に見ていたそばで働く人たちの仕事観に影響を受けている。
そして今でもシブヤ大学で授業の企画をしたり、シブヤ大学で出会った人たちと仕事をしたり遊んだりしている。

もし、自分の居場所が学校しかないと思って、つらさを感じているのであれば、外の世界に目を向けると自分の居場所があることに気づけるかもしれない。
もしかしたら、そこで好きなことにも出会えるかもしれないし、それが将来にすごい影響を与えてるものかもしれない。
そんな風に未来に期待してこれからも縦横無尽に行きたいところにいって、好きな人たちと好きなことをしたいな。

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