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写真を撮る人写る人、観る人の関係

今日、東京都写真美術館に行くため、埼玉から恵比寿まで上京した。

目的は、「世界報道写真展2018」を観に行くため。最近、写真を見ることや撮ることを考えることが増えたことがきっかけで特に報道写真に熱い想いがあったからではない。この展示は、世界中の100箇所で開催されて、応募してくる写真家の数も点数も世界最大級に大きい。その中から審査をされて42人の受賞者が決まる。めちゃめちゃ厳選された写真たちだ。

■報道写真ってなんだろう?

普段何気なくニュースや時事問題を扱った記事を目にすることはある。今回みた写真が表しているニュースも知らないものは一つもなかった。例えば、ロヒンギャ難民について。ロヒンギャはミャンマーに住むイスラム系の少数民族で迫害にあって、バングラディッシュに避難している。字で知り得る情報ってどこか他人事に感じられてしまう。得にニュースは。できるだけ、客観的な事実の表現が大事だからだと思う。

この写真を観ると、「少数派民族が虐殺されたり、避難している最中に命を落としている。その中には多くの子供がいる。」意外の情報がたくさん入ってくる。それはとても個人的な感情かもしれないし、人によって受け取り方は違うが、私はこの写真を見て、この問題が他人事ではないような気がしてきたし、この写真で泣いている男の子の感情が伝わってきて胸が痛くなった。写真によって、事実を書いた文章では表現できないところを、撮影者が伝えたいイメージと被写体が訴えかけてることに、写真を見る人の解釈が加えられることで、より事実が立体的になって自分の頭に再現されてくる。報道写真は、文章じゃ一般化されすぎてしまう部分を、撮影者の目線、つまり個人の目を通して具体的に、そしてより主観的に目の前に広がる現実を表現して、観る人に伝えているんだと思った。

(note初めて使ってみたけど、ゲッティイメージの埋め込みができなかったり、ちょっと工夫が必要!)


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