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やってる間にいろいろ出来上がる感覚

今の私の日々の中心を占めている感覚はこれです。

興味を持ったものは、それの核を意識しながら先ずはざっと掴んでみる。

それ自体を掴むのにたいていはその周辺部も必要になってくるので、それなりに周りにも感覚を拡げてみる。

とにかく、基本頭で処理する工程はいつものごとく自働化されていて、

違和感を感じる場面以外は、ほうっておく。

脳だって何とか役に立とうとは思ってくれている。必死なのだ。とにかくそっと、

あとは無理しないですすきのような心持ちで対象と一体化する感覚。

そのうち全体の感覚が定まるので

一瞬にして全てを捉える。

最近はこの段階で自働化されて得られてるその他の不確かな情報は自然と削ぎ落ちている。

諸行無常は常に最強。

全く同じ事は後々起こらないことを肝に銘じながら、得たものを確認。

再現性に興味のあるかたはまあいろいろやられてたらよろしいかと。

あとは感謝して周りの存在(神仏等も含めて)と共有しともに喜ぶ感覚。

敬意を払うのは当たり前。


あとは具体的に生活仕事?いろいろな場面でこの感覚を使っている。その時点で、達成不可能とわかったものについては、適当な優先順位を一旦与えて保存。

捉える途中で数値化?されてるようなものも感じる時があるが、これに関しては今後の課題。捉えてる時は無限大なのかも。


ではでは🌱


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