息子へ。8月15日を前に。
今日は少し難しい話をしたいと思う。
パパのお爺さん(君から見たら、お爺さんのお父さんだ)は78年前に中国にいたんだ。
そこで長い、長い戦争を終えたと聞いた。
お爺さんがいた部隊の手記を読んでも、激しい戦いが何度も繰り広げられていたのが分かった。お爺さんは肩を鉄砲で撃たれて、その痕を見せてもらったことがある。皮膚は引き攣れて、貫通した跡は深く窪んでいた。
酔ったお爺さんは、ぼそっと「戦争だけはやっちゃいけない」と言っていた。それは今でも覚えているよ。
ここからが君に伝えたいことだ。
人は、ひとりでは生きることはできません。
人は、父と母から生まれ、社会で生きます。
時には人と人とがすれ違い、対立し、または思いが重ならずに疎遠になったりします。
そして、その大きくなったのが「戦争」です。
君が読むころには、どんな社会が生まれているか分かりません。この文章を書いている今もまた、ウクライナという国と、ロシアという国が戦争をしています。
戦争を仕掛ける人、受ける人には色々な思いや考えがあるでしょう。けれど、そこには必ず傷ついている人がいます。
心も、身体も。
自分で望んで軍人になったパパのお爺さんもです。
戦争が終わったときは20歳そこそこの若者だったのが、50年、60年経ってもその時代のことを話すときには、時間が止まっているようでした。
そして、必ず戦争で一緒に戦った人たちの集まりには出かけて、毎日仏壇に手を合わせていました。普段の行動からは、決して宗教心が厚い人にも、仏教を理解しているようには見えなかったのにです。
それだけ苦しかったのかもしれません。
ある人が言いました。
「複雑さに耐えて生きる」と。
君には、既に複雑な家庭にしてしまい、そのことは謝り切っても足りないと思っている。
ある人は言いました。
「人は1人で生まれ、1人で死ぬ」と。
それもひとつの答えなのかもしれません。
けれど、君に伝えたいのは「人はひとりではない」ということです。例え君が「愛されたい人から愛されていない」と思っていたとしても、君のことを思い、考え、愛している人は必ずいます。
生きることは、時に寂しさに耐えることでもあります。
生きることは、時に辛さに耐えることでもあります。
生きることは、時に死にたくなる時間に耐えることでもあります。
それでも、君はひとりではないし、今を生きる周囲の人や文化、パパのお爺さんをはじめとした祖先にも囲まれて生きている「社会的な流れの中の存在」であることを思い出してほしい。
「社会」というのは、簡単にいうと「みんな」がいて「君」がいて、そして「君」も「みんな」のひとりであるということだ。
パパのお爺さんは、こうも言っていた。
「ありがとう」と。
亡くなる間際に「ありがとう」と言っていたんだ。
誰に向けた言葉なのかは分からないけれど、今ならパパも少しだけ分かる。
生かさせてくれてありがとう。
と、周囲の人たち、今まで出会ってきた人たちに。
生まれてきてくれてありがとう。
と、パパのお父さんやパパに。
そして、すべてに「ありがとう」と言っていたように思います。
生きていると、楽しいことも、辛いことも出てくると思います。けれども、忘れないでください。
君には愛してくれている人たちが沢山いることを。だから、どうか、自分を大切にして生活してほしいと思います。
もうすぐ、今年も8月15日です。
少しでも心安らかに過ごせる人が増えますように。
そして、君が健やかに育ってくれることを、離れた場所で願っています。
現場から現代社会を思考する/コミュニティソーシャルワーカー(社会福祉士|精神保健福祉士)/地域の組織づくりや再生が生業/実践地域:東京-岐阜/領域:地方自治|政治|若者|子ども|虐待|地域福祉|生活困窮|学校|LGBTQ