見出し画像

どうしても楽しく生きたい

どうしても楽しく生きたいと思うことが多くなった。

こんな思考をするようになったのは大学2年生になってからくらい。

正直、それ以前の自分はどちらかというとネガティブで、明るいとはお世辞にも言えなかった。そしてとにかく人が怖いという感情を拭い去れなかった。いつも何かを気にしていた。
嫌がってないだろうか、退屈じゃないかなという感情を気にせずにはいられなかった。とにかく人に嫌われたくないんだろうなと自分で思う。

大学生になって、初めて迎えた春休みに岩手にインターンシップに行った。
とにかく何かしたくて、現状のもやもや、漠然とした不安から逃げるように自分と全く関わりのなかった土地で、全く関わりのない業種のインターンに1ヶ月半泊まり込みで参加をした。

大学1年生で岩手にインターンというのはとかく珍しがられ、温かく歓迎してくれた。社長も若く、社員の人も若い。営業に行ったり、企画を社長に提案したり、作業を手伝ったり、何でもやった。名刺の渡し方も初めて知ったし、目上の人とのカフェでは先にコーヒーを飲んではいけないことも知った。

とにかくあの時の自分は元気だった。
新しい学び、新しい人間関係、初めて食べる料理、初めて出会う方言。。
どれもストレスになりえたのに、全部プラスの方向に持って行けた。

なんでだろう。今になって考える。

その答えが「とにかく楽しく生きる」だった。

あの時の自分はとにかく楽しく生きていた。

こんなことしたら変に思われるんじゃないかではなく、
これやったら面白そう!、きっとあの人が喜んでくれる!やってみたい!

思考回路の組み方がガラッと変わった瞬間だったのかもしれない。

だから今もとにかく「楽しさ」を追い求めている。
バイトでも、どうやったら生徒が楽しいだろう、学ぶことに喜びを感じてくれるだろうとか。
とある事情で旅程表を作るときも、コメントを工夫したら喜んでくれるかなとか、つまらなく見えてしまうエクセルじゃなくて別の方法で作ってみようとか。
英単語のテスト用のフォーマットを作るときも殺風景なプリントじゃなくてイラストとか文言とか入れたら楽しんでくれるかなとか。

noteをしっかり始めたのも自分がとにかく書くことに飢えていたからだ。140字で足りない、そしてTLの人に迷惑をかけずに書くという自分の欲求に素直になった結果だった。

自己啓発本は背中を押してくれる「感じ」を提供してくれる。

でも結局は自分で自分を変える方が手っ取り早い。

自分がとにかくわくわくできるように、そしてその結果誰かが喜んでくれたり、わくわくが感染するように。自分がとにかく楽しく生きれるように。

ポジティブなんていらないから、ずっと楽しくありたい。
当然落ち込むこともある。でもそれすら「楽しみ」への助走にしたい。

あー、今日もチョコボールイチゴ味が美味い。

そして明日も、どうしても楽しく生きたい。切実に。

おわりっ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?