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挨拶廻り

ピンポーン、と1Kの典型的な一人暮らしの部屋にインターホンの音が響き渡った。普段、訪問者といえばアマゾンの商品を届けてくれるヤマトか佐川のドライバーである。あとは新聞の勧誘くらいか。

なんかアマゾンで注文してたっけ?
と思考を巡らせながらドアを開けると(普段覗き穴から確認とかしない)私服姿の青年が立っていた。
手にはレジ袋を持っているのみで明らかに宅配業者でもなければ新聞勧誘でもない。
そのような訪問者は極めて珍しいからちょっと警戒してしまった。

「今度となりのとなりの部屋に引っ越してきた〇〇と言います。
今後よろしくお願いします。」
彼は(少なくとも)若干訝しげに眺める僕を見ながらそう言った。
どうやら彼はこの春新しく転居してきた隣人であるらしかった。

このご時勢挨拶廻りはとても珍しいのでは?
少なくとも一人暮らしのアパートでそれはなかなか見ないし、やらない。
実際学部時代から数えて6年間一人暮らしをしているが挨拶されたのは初めてだった。僕も隣人に挨拶したことはない。

少し話してわかったことは、まず彼が工学部の学生であること。確かにもう一度よく見てみれば服装がそんな感じである。理学部か工学部を連想させる。大学に入学したばかりの自分を見ているようであった(全体的に失礼な感想だな笑)。
彼の名誉のために言っておくと、コミュニケーション能力は工学部の中では確実に高い部類で、見ず知らず人間に挨拶されて多少過剰にテンションの上がっていたコミュニケーション能力の低い僕のどうてもいい質問に淀みなく答えてくれた。

彼の手土産にはスイートポテトとビーフジャーキーが入っていた。
彼はビーフジャーキーをどのような意図で選んだのだろうか。
普通に考えればこれは酒のつまみである。
しかし、彼のような品行方正な(に見える)人間がこれをそのような意図で渡すだろうか。
つまり、もしそのような意図でこれを渡した場合、彼はここに住んでいる人間が成人を迎えていることをすでに知っていたことになる。

確かに確率的には成人を迎えている可能性の方が高いが、彼のような人畜無害そうな(失礼)人間は、経験的にとても気を使うタイプが多いから、知らない人間に合う場合は確実に無難な行動に終始するはずである。
大家に聞いて知っていたのかもしれないが、もしそうならやはり異常に気を使う人間ということになる。

そうでないなら、もう一つの可能性として、彼が、いや、これまでの彼の育ってきた環境がビーフジャーキーを常食するような環境であったという場合である。
この場合、彼にとってビーフジャーキーは一般人にとっての米やパンと同程度のプライオリティをもつ食料品である。
大学生の一人暮らしなら米を与えられて困る人は極端に少ないだろうから、この場合の手土産として隣人にこれを配るのはとても理にかなった行為であると言える。
もう一つの手土産がスイートポテトであったことからも、彼がビーフジャーキーを常食している光景が目に浮かぶというものだ。
つまり、ビーフジャーキーは「単なる主食」で、スイートポテトはその後のデザートである。
彼は初めからこちらが20歳を超えているかどうかなど気にしていなかったのである。

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