見出し画像

2019 ウズベキスタン渡航記 -第三の居場所-

 家族。そして学校(職場)。どちらもほぼ毎日顔を合わせて自分の生活を組織する大事な居場所です。でもそのどちらか(もしくは両方)がうまくいかなくなったとき、人は不安になり自己肯定感が下がり苦しくなる。自分も振り返れば家族とうまくいかなかったり学校や職場が楽しくなかったりする瞬間は人よりも多かった気がする。そのたびに救ってくれたのが第三の居場所。それは部活だったり習い事だったり年代にあわせて変化していったが、もしその環境がなかったらと思うとゾッとする。今回はこの「第三の居場所」にフォーカスを当てて、第三の居場所へのアクセスが難しい地域や国が世界中にまだまだある中で、非常にうまく機能しているウズベキスタンのとある日本語学校にボランティアとして潜入しお話を伺いました。

 社会人になった。初めのうちはすべてが新鮮で、研修で日本を飛び回り現場を知れることに満足していました。でもハネムーン期間が終わって東京のオフィスにいる時間が長くなった時、時間と体力が急に余ってしまって悶々とする日々。そんなタイミングでたどり着いた夏休み。3週間のうち1週間はヨルダンでの国連フォーラムの活動(詳しくはヨルダン渡航記)。次の1週間はリフレッシュタイム。尊敬するおねー様と楽しくペトラ遺跡・死海・ワディラム砂漠・アカバをジープで旅して心も体もスッキリ。現地の医大生とのアンマン観光やイエメンの友人を訪ねてのドキドキ路線バス旅も面白かった。イスタンブールでのSWYerリユニオンも大切な思い出です。そして前置きが長くなりましたが、最後の1週間を過ごしたのが以前から知り合いが何人か訪れていて気になっていたウズベキスタンです。

 日本語学校があるのは首都タシュケントから車で6時間かかるコーカンド地方の街リシタン。かつて現地に指導員として赴いた日本人男性が私的に学校を開いたのが始まりで、彼が帰国してからも彼の教え子や通訳さんが中心となって事業が継続されました。授業料は無料で、ここに集まる子供たちはそれぞれの目的意識をもって日本語を学んでいます。レベルは日本語検定を取って日本への渡航を目指す子供から、楽しく外国語を学ぶ子供まで様々。お金は日本からの寄付やボランティア先生の滞在費によって賄われています。冒頭にも書きましたが、この学校はまさに地域の子供たちの第3の居場所として機能していて、違う学年の生徒と関わったりスポーツをしたり、日本語を通して異文化や世界とつながったりできる空間になっていました。

 今回も?わんぱくでやんちゃなかわいい小学生たち2クラスを担当させてもらい、ビンゴゲームや特製テキストを交えながらの楽しい授業。自分自身たくさんの外国語をいろんな先生から受けてきたし、教える側の立場も多く経験したからそのいいところを取りよせた授業って感じです。ハイハーイ(^^)/って積極的に手をあげてくれてかわいかった。休み時間もけん玉をしたり日本のアルバムを見せたりして楽しんでもらいました。自分に出会えたことで彼らの世界が広がって可能性やモチベーションを与えられると嬉しいですし、先生も子供たちからはたくさんな大事なことを学んでいます。片言同士だけど分かり合えたり笑い合えたりする瞬間はたまりません。

 スティは学校で生徒たちと泊まる日があったり校長先生のおうちに泊まらせてもらったり。おんぼろ自転車に乗りながら素朴な街並みを通勤し、家庭料理を食べてたくさん遊ぶ日々は日本では味わえない充実感。現地の結婚式に行ったりスーパーで買い物したりするのはどこの国でもオリジナルで楽しい。お好み焼きづくりは今回も大成功。何カ国目だろう(笑)。夏休みの〆は電車旅で向かったサマルカンド。千夜一夜物語の舞台になった街で、青の都という名にふさわしく町全体が自分の大好きな青で埋め尽くされていました。Registan広場やシャーヒズンダ廟をはじめとするイスラム建築は外観も中身も圧巻。シルクロードの要所として栄えたモスクもバザールは今も活気で満ち溢れていました。夜のライトアップは特に最高。多少ぼったくりにも逢いましたが、取り返すくらいの幸運もあってトータルでは美しい思い出になりました。寝台列車で寝転がりながら見た旧ソ連の街並みや果てしない農地、巨大発電所や断崖絶壁の山などの車窓の景色は魅力的でした。地理好き歴史好きの方にはお勧めの国です。

 今回の訪問で、国際機関などで国際協力に関わった後に自分の経験を還元する学校のような空間を作ってみたいという夢が生まれました。日本の大学で目標に近い生徒に教えることもしたいけど、どこか一カ国その地域に腰を据えて、子供たちにたくさんの機会を与えらえれるコミュニティを作れたら幸せですね。自分にとって外国のローカルな世界に飛び込んでたくさん笑うことが自分の第3の居場所なのは確か。でもそんなことはいつもはできないので、帰国後は国連フォーラムの活動を継続的に頑張りながら、大学の生涯学習のクラスや英会話ができるコミュニティーに顔を出して、なるべく多忙でたくさんの自分を表現できる生活になるよう工夫しました。そうして何とかワクワク感を保ちながら奮闘していると、気づいたら季節は冬。次なる冒険の地は、遅ばせながらの初渡航。インドでございます。

 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?