無謀な挑戦の先にあったもの

 高校時代の5000mのPB17分30秒。大学駅伝が好きな人や陸上競技を経験している人なら、このタイムで箱根駅伝を目指すのは無謀だと思うはずです。ですが、当時の自分は何故か無謀に思えず、努力次第で何とかなる。そう思っていました。ですが、大学駅伝の世界は自分にとって過酷で、夢は見るもんじゃないなと思いました。ですが、誰かに夢を託してそれを支えることは素晴らしい事だということも知ることが出来ました。

 大学2年の秋にマネージャーになるかならないかを決める記録会で、自分は撃沈し、もうマネージャーになるのかと心の中で覚悟を決めました。ダウンジョグをするために着替えながら、何故かマネージャーの当落線上にいる同期の応援を知らず知らずのうちにしていました。やっぱり自分は表舞台に立つ人間じゃないんだなと改めて思い、選手として箱根駅伝を目指すことをきっぱり諦めました。その日の夜は誕生日にもらったワインを飲み干し、諦めたはずなのに湧き出てくる色んな感情を酒で流し、ぐっすり寝ました。2日後に当時の学年リーダーからマネージャーをして欲しいと言われ、正式にマネージャーになりました。

 マネージャーになってすぐの箱根駅伝予選会は惨敗しましたが、マネージャーになりたての自分にとって悔しいとか悲しいとかの感情を持つ余裕はありませんでした。それから卒業するまでのマネージャーとしての部活動はあっという間に過ぎていきました。ミスはするし、寝坊しかけて監督から何回も電話もらったこともあるし、変におどおどするし、チームに自分は貢献できているのかと思うことは多々ありました。自信は常になかったです。全国高校駅伝走った選手や駅伝の名門校出身の選手が数多くいる中で、どこの馬の骨か分からない自分がマネージャーとして選手を支えられているのか葛藤していました。

 そんな中でも、選手の自己ベスト更新する姿を目の前で見れることはとても嬉しかったです。初々しい1年生が今の環境になれて本来の力を発揮する姿。入学して1年が過ぎ、勢いがある2年生。上級生になり、立場が変わりつつ自分の力を発揮する3年生。ラストイヤーにかける4年生。タイム関係なく、全ての自己ベストが自分の事のように嬉しかったです。だから、箱根駅伝でシード圏に絡めずタスキも繋げない姿を見る事がとても辛くて、受け入れるまで時間がかかりました。

 それでも、マネージャーとしてこのチームに携われた事、自分の夢を託せるチームメイトに出会えた事をとても誇りに思います。世間的には箱根駅伝最下位とか襷が最後まで繋げなかったことにフォーカスされます。スポーツの世界で勝敗がつくのは当たり前ですが、4年間一緒に時間を共にした仲間でチームの新たな歴史の1ページを作れた事は、自分にとって大きな財産です。
 
 チームを支える事にやりがいを感じてきた矢先の引退なので寂しかったです。ですが、今のチームは以前よりパワーアップしています。1人のOBとして、これからも応援していきます。

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