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【微ネタバレあり】映画『マスカレード・ホテル』感想【その辺のホテルで起こる殺人未遂事件だった】


こんにちは。これです。


早速ですが今回のnoteも映画感想です。今回観た映画は『マスカレード・ホテル』。東野圭吾さん原作、木村拓哉さんと長澤まさみさんのW主演の話題の映画です。


では、感想を始めたいと思いますがその前に一つ。この映画はミステリーなので犯人のネタバレはご法度。一応名前は伏せてますが、たぶん読んでしまえばだれが犯人かはすぐに分かってしまうと思います。それを踏まえた上でお読みいただけると幸いです。では、よろしくお願いいたします。








―目次― ・犯人の人選がファンタスティック! ・バディものとして ・もうちょっと短くできない? ・あのホテルって本当に超一流なの?



―あらすじ― 都内で起こった3件の殺人事件。 すべての事件現場に残された不可解な数字の羅列から、事件は予告連続殺人として捜査が開始された。警視庁捜査一課のエリート刑事・新田浩介(木村拓哉)はその暗号が次の犯行場所を示していることを解読し、ホテル・コルテシア東京が4番目の犯行現場であることを突きとめる。しかし犯人への手掛かりは一切不明。そこで警察はコルテシア東京での潜入捜査を決断し、新田がホテルのフロントクラークとして犯人を追うことになる。そして彼の教育係に任命されたのは、コルテシア東京の優秀なフロントクラーク・山岸尚美(長澤まさみ)。 次々と現れる素性の知れない宿泊客を前に、刑事として「犯人逮捕を第一優先」に掲げ、利用者の”仮面”を剥がそうとする新田と、ホテルマンとして「お客様の安全が第一」というポリシーから、利用者の”仮面”を守ろうとする山岸はまさに水と油。お互いの立場の違いから幾度となく衝突する新田と山岸だったが、潜入捜査を進めるなかで、ともにプロとしての価値観を理解しあうようになっていき、二人の間には次第に不思議な信頼関係が芽生えていく。そんな中、事件は急展開を迎える。追い込まれて行く警察とホテル。 (映画『マスカレード・ホテル』公式サイトより引用)





※ここからの内容は映画のネタバレを含みます。ご注意ください。




・犯人の人選がファンタスティック!


小細工はよしましょう。この映画で私が一番いいと感じたところ。それは犯人の人選です。××××さん(一応名前は伏せておきます)が犯人役で本当に満足。去年公開の某映画に続いて××さんの怪演が見れて本当によかった。非常によかった。もし××さん以外が犯人だったら、私はこの映画のことをクソだって言ってたと思います。それくらい、××さんはこの映画の救世主でした。予想はついてしまいますけど。


まず、ポスターや予告で××さんが出演するというのは知らされてますよね。にもかかわらず映画では××さんがなかなか出てこないわけですよ。まあ出てきてはいるんですが。この時点で違和感を感じますよね。で、そこの××さんがもう怪しさ全開なんですよね。こいつが犯人と見せかけてのミスリードかな?って思わせるくらい意図した怪しさがありました。


で、その後××さんは一瞬後ろ姿が見えます。この時点で「あ、××さんだ」って分かるわけですよ。で、ここで思ったのが「××さんがこれだけで終わりなはずがない。きっと後の重要なシーンで登場するはず。あ、もしかしてこの人が犯人?」ということです。映画の文脈全く関係ないメタ的な推測ですが、悲しいかなこれが当たってしまいました。


そして終盤になって犯人、××さんはその顔を表します。もう「キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!! 」ですよね。出たあああああああって一人で大盛り上がりですよ。間違いなくこの映画一番の盛り上がりです。犯人が明らかになるシーンが一番盛り上がるというのは、ミステリーとしては機能しているのではないでしょうか。知らんけど。


で、その後の妖しい演技もよかったですよね。××さんの語りかける口調めっちゃ好きです。ホテルのロビーや式場といったどんなシーンよりも、薄暗い一室のこのシーンが私はこの映画で一番華やかだなって思いました。一人で画面を持たせることのできる魅力があるんですよ××さんには。それまでのマイナス評価も吹き飛ばすぐらいの、単純な私にはこれだけでこの映画にプラスの評価ができるぐらいの映像をどうもありがとうございました。







・バディものとして


この映画の最大の肝。それは新田と山岸のバディという点にあります。木村拓哉さん演じるどう見てもキムタクにしか見えない(髪を切ってからは特に)刑事・新田浩介と、長澤まさみさん演じる姿勢がめっちゃいいホテルマンの山岸尚美。容疑者として客を疑う新田と、お客様として客を信じる山岸は、公式サイトにもある通り、まさに”水と油”の関係でした。タイトルが出たときに二人が反対方向を向いていたことも、考えが反対であることを示しています。全く違う二人をコンビで組ませるというのはまさにバディものの王道ですね。


しかし、ホテルでの接客を続けていくうちに二人の考えにも変化が見えてきます。ホテルマンとして経験を積み客を信じるようになっていった新田と、刑事と仕事をするうちに客を疑うようになっていった山岸。二人が互いに影響されて考え方が少しずつ変わっていく展開。これもバディものの王道です。新田が犯人を追い詰めたのだってホテルマンとしての経験があったからですもんね。上手く機能しています。


そして事件は無事解決し、映画は終わりを迎えます。『マスカレード・ホテル』の最終カットは互いに向き合う新田と山岸。最初は反対の方向を向いていた二人が、最後に向き合うというのはお互いのことを分かり合った証拠。本当のバディになったということです。この最初と最後の分っかりやすい対比がこの映画のコンセプトを存分に表していました。


でもって、こういったバディものの利点というのが大外しをしないこと。反目する二人が分かり合っていくというのは好きな人も多いので、いつの時代もある程度は受け入れられるものです。『マスカレード・ホテル』はバディものとして、存外しっかりしていたので私も素直に面白いなと感じることができました。ただ大当たりはしてないんですよね。その理由をこれから述べていきたいと思います。







・もうちょっと短くできない?


テレビドラマでよくない?


今回、この『マスカレード・ホテル』の感想を見ていくにあたって、このような声を多く目にしました。確かに『マスカレード・ホテル』はめっちゃテレビドラマ的です。ホテルの客が問題を起こしてそれを二人で解決。そして新田と山岸が分かり合っていく。これはまさにテレビドラマ60分の流れではないでしょうか。次回に続く的な。


ただ、このテレビドラマ的展開を『マスカレード・ホテル』では5回ぐらい繰り返すんですよね。二人が分かり合っていく過程は大事なんですけど、ここまでワンパターンの展開が連続で続いたらさすがに飽きます。でもって二人が分かり合っていくのも遅いですし。


そもそもこの映画の上映時間は133分。少し長めで集中力を持続させるのが難しい時間です。ぶっちゃけ途中の2エピソードぐらいを見なくても話の展開には全然ついていけるので、もうちょっとエピソードを削って上映時間を短くしてほしかったというのが正直な思いです。だって必要なのって、なんちゃって視覚障害者のお婆さんと年の差夫婦の話ぐらいでしょう。あ、新田の能力(後半死に設定になってたけど)を見せるためにバスローブ泥棒の話も要るか。でも、それくらいですよね。キレるおじいちゃんとか、長い尺をかけた生瀬勝久さんのシーンとか別になくても話の展開には困らない。せっかくバディものというコンセプトや犯人の人選などところどころで光るものはあるのに、脚本が悪くそれらを帳消しにしてしまっていたのはもったいなかったと思います。







・あのホテルって超一流なの?


この疑問がですねー、映画を観ている途中でずっと首をもたげてくるんですよねー。あんなに客に舐められるホテルが本当に超一流なの?っていう疑問が。まずロビーが猫の額ほど狭く雑然としていますし。客層も悪いですし。そもそも売れてない劇団員が泊まれる超一流ホテルって何?ってことですよ。世の超一流ホテルと言われるホテルを思い浮かべてみてくださいよ。リッツカールトン、帝国ホテル、ホテルニューオータニ。これらのホテルに売れてない劇団員が泊まれますか?泊まれないでしょ?だからあのホテルは超一流ではないのです。その理由は設備だったりサービスの内容だったりも、コテルシア東京が持っている精神にあるんですよね。


皆さんご存知の通り、ホテルというのはサービス産業です。でも、近年使われるようになった「ホスピタリティ産業」という言葉はご存知でしょうか。「サービス」と「ホスピタリティ」。これらは似ている言葉のように思われますが明確に違います。超一流ホテルにはサービスを越えたホスピタリティがあるのです。しかし、今作で舞台となったコテルシア東京ではそのホスピタリティが全く感じられません。それにはまず「サービス」と「ホスピタリティ」という言葉の違いについて触れなければなりません。


まずは「サービス」。英語の「service」という言葉の元は「serve(仕える)」ですが、これから派生した言葉がもう一つあります。それが「servant(奴隷)」です。そもそも「サービス」の語源はラテン語の「servus(奴隷)」です。この語源通り、「サービス」というのはサービスを受ける立場が主であり、サービスを提供する側は従。完全な主従関係が成立しています。


では、映画の中のコテルシア東京はどうだったのでしょうか。タバコ臭いから部屋を変えてくれという客、食事が遅かったからキレる客、バックアップが取れていなかったからデータを打ち直せという客さまざまなクレーマーが劇中に登場します。これに対するコテルシア東京の対応はそれに有無を言わさず、口を挟まずただ従うだけ。疑いようもない主従関係です。「ルールはお客様が作る」とは「ルールは奴隷主が作る」と言っているのと同じ。コテルシア東京は単なるサービスの提供にとどまっているのです。


一方の「ホスピタリティ」。こちらの語源はラテン語の「hospics(客人の保護)」。これが「hospital(病院)」や「hospice」などに発展していきました。これらは対価を求めているのではなく、おもてなし・喜びを与えることに重きを置いているのが大きくサービスと違います。このときサービスを受ける側とサービスを提供する側というのは対等な関係です。つまりは「思いやり」を持って相手にあたるということですね。これだとなんのこっちゃ分からないので例を出してみましょう。


たとえば病院で。高血圧の患者がいたとします。その患者は当然味の濃いものを欲しがります。ここで医者の仕事は「どうぞ味の濃いものを食べてください」と勧めることでしょうか。違いますよね。「味の濃いものは控えて薄い味付けにしてください」というのが一般的な対応です。これには患者を思いやる心があると考えられます。だってお金がほしいなら味の濃いものを食べさせてどんどんと病院に来させればいいだけの話ですから。このように「思いやり」の心を持った対応というのは必ずしも「YES」と答えるだけではありません。相手のことを思いやるなら「NO」と言うことも必要です。「ホスピタリティ」=「相手の言うことを全て聞く」ではないのです。


ここまで見てくれば、コテルシア東京にホスピタリティ精神がないことに気づきます。「相手の言うことを全て聞くサービス」を提供しているコテルシア東京はいくら見かけは豪華でも、本質的にはその辺のホテルと一緒です。だから客がつけあがるんです。本当の超一流だったら、客もある程度は襟を正してちゃんとしますよね。


でも、コテルシア東京はそうじゃない。『マスカレード・ホテル』では客がその辺のホテルと同じようにわがままを言います。これによってヘイトは溜まっていく一方です。そして辛いのがこのヘイトが解消されないこと。ホテルマンたちはただただ、へえへえと言って従っているだけなので、スッキリするはずもありません。もっと客の、観ている私たちの想像を超えるようなホスピタリティがあればよかったのですが、そんなことは全くなかったので、まー前半はキツイ。ストレスフル。後半は持ち直しましたけど、振り返ってみるとやっぱり前半が足を引っ張ってるかなとは感じました。







以上で感想は終了となります。映画『マスカレード・ホテル』。少し疑問点はあるものの、20名以上の豪華俳優陣の競演が見られるというのはあまりないことなので、興味のある方は劇場に足を運んでみてはいかがでしょうか。バディものとして見ると面白いですよ。


お読みいただきありがとうございました。


参考:

ホスピタリティとは?ホスピタリティの極意
https://www.hospitality-gokui.com/a1.html

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