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スポットライトが見えずとも~上総台高校アクター部がいる!~(177)


前回:スポットライトが見えずとも~上総台高校アクター部がいる!~(176)





 土曜日の日中ずっと降っていた雨も夜が明ける頃にはすっかり止み、風が寒いけれど清々しい空気を運んでくる。天気予報では曇りだったが、家を出たときには空に雲はさほどなく、晴明は前向きな予感がした。

 桜子と合流して、まずは蘇我駅へと向かう。シーズンが終わったからか、電車の中にハニファンド千葉の赤いユニフォームを着ている人は、あまり見られなかった。

 二人が蘇我駅に着くと、他の部員と植田は既に改札の前に集合していた。

 テスト前で活動ができず、今日だって学校に届け出を提出してようやく活動できている状態だ。一週間ぶりに先輩たちに会えたのが嬉しかったのだろう。桜子は、子犬のように成たちのもとへと駆け出していた。

 そこまではいかなくとも、晴明も久しぶりに先輩たちに会えたことに心底安堵する。自分も含めて誰一人欠けていない今の状況が、涙が出そうになるほど嬉しかった。

 雑談に花を咲かせていると、フカスタにはあっという間に辿り着く。シーズン中とは違ってキッチンカーは出ていないし、入り口付近にも人は一人も並んでいない。

 今日は一一時半にゲートが開場し、ファン感謝祭は一二時ちょうどにスタートする。席の確保もする必要がないから、ゆっくり開始時間に間に合うように来ようと、多くのファン・サポーターが考えているのだろう。

 一二時に間に合うように、選手たちがスタジアムに散らばっていく。晴明たちもライリスたちを着て、ピッチサイドに出ていく。

 それぞれお目当ての選手のもとに行っているのか、メインスタンドに人はあまり多くなかったが、それでもあちこちから聞こえる話し声に、試合日よりもぐっと和やかな雰囲気を晴明は感じる。

 ピッチサイドで晴明たちの横に立つ野々村が、すっとマイクを構える。一二時を告げるチャイムがフカスタに鳴り響いた直後のことだった。

「皆さん、こんにちは! 今日はお寒い中、フカツ電器スタジアムに足を運んでくださってありがとうございます!」

 野々村の声が、スピーカーを通してスタジアムに広がる。メインスタンドから起こったまばらな拍手に、晴明は手を振り上げることで応えた。

「今日は待ちに待ったハニファンド千葉のファン感謝祭ということで、サイン会や触れ合いミニサッカーなど、多数のイベントをご用意しています! ぜひ最後までごゆるりとお楽しみください!」

「じゃあ、ライリスたちも準備はいいね!?」と呼びかけられて、晴明は大きく頷く。選手入場口にはピッチに足を踏み入れる時を今か今かと待ちわびている、ファン・サポーターの姿が見えていた。

「それでは、いきます! 二〇二〇シーズン、ハニファンド千葉ファン感謝祭」

「スタート!」野々村が言うと同時に、晴明は手をかざして開始の合図を告げる。スタジアムには入場時のアンセムが流れ、スタッフに止められていたファン・サポーターが次々とピッチに出てくる。

 晴明たちは自分たちに向かってくる者、ピッチで開催される選手との触れ合いミニサッカーに参加する者、その全員にグリーティングを行った。一年間の感謝を込める意味もあって、シーズン中よりも時間をかけて、一人一人と触れ合う。

 その中には莉菜や由香里もいて、晴明たちに変わらぬ笑顔を向けてくれていた。何かを渡すということはしなくても、手を握ったり横に並んだりしているだけで、晴明の心は盛り立てられていく。

 スタッフにスマートフォンを渡して、莉菜や由香里とのスリーショット写真も撮った。莉菜の表情は爽やかとまではいかなくても、安寧としていて、晴明には転校するかもしれないという事情を抱えているようには見えなかった。

 晴明たちが最初の三〇分間のグリーティングを終えて、第二会議室に戻ったときも、スタジアムは明るく晴れやかな空気に満ちていた。大型スクリーンからは野々村の司会で、選手たちが話す声が聞こえてきている。

 この日のファン感謝祭は、選手のサイン会や選手とプレーできるミニサッカー、複数人の選手たちがかわるがわる登場するトークショーに、スタッフが案内するフカスタのバックヤードツアーなど、多くのイベントが企画されていた。選手たちも時間ごとに持ち場を変え、シーズンが終わったにもかかわらず来てくれたファン・サポーターを、最後まで飽きないように趣向が凝らされている。

 バックヤードツアーがある手前、あまり大きな声で話さないように、晴明は筒井から言われている。だから、晴明たちの会話は、自然と小声になっていた。

 だけれど、期末テスト前の緊張感や切迫感を少しの間でも忘れられる時間は、晴明にとってはとてもありがたく貴重なものだ。

 スタジアムの暖かな雰囲気も合わせて、一週間前に味わった失望から、誰もがすっかり回復しているかのように思えた。

 休憩時間も終えて、晴明たちは再びライリスたちになって、ピッチサイドに登場する。

 二回目になっても、自分たちのもとにやってくるファン・サポーターはその数を減らすどころか、さらに増やしていた。実質この日最後のグリーティングに、もう一度参加している人も多い。

 今日が終わってしまえば、またリーグ戦が始まる来年の二月まで、少なくともフカスタではライリスたちと会えなくなってしまうのだ。

 だから晴明は疲れを見せることなく、大きな仕草で丁寧にファン・サポーターと触れ合った。莉菜や由香里も含めて、やってきた全ての人に分け隔てなく愛情を注ぐ。清々しい表情は、晴明の心にもまた爽やかな風を吹かせていた。

 多くのファン・サポーターとグリーティングを行い、自分たちの前にできていた列が解消された頃、晴明は入場口から数人の選手が上がってくるのを見た。

 ピッチで行われる触れ合いミニサッカーに臨む面々。その最後尾には柴本もいた。

 他の選手がピッチに向かっていくなか、柴本は一直線にライリスたちに近づいてくる。「ライリス! 今日も元気そうだね!」とかけられた言葉が、まるで自分を労わっているようで、晴明は頷いて親指を立てた。

「ライリス、どう? ファン感は。楽しい?」

 晴明は、大きく手を振り上げる。楽しくて仕方がないという意図は、柴本にも伝わったようだ。

 大きな笑みには、後ろめたいことなんて一つもないように晴明には見えた。

「そっか! 俺も楽しいよ! 一日中やってたいくらい!」

 柴本の言葉は本心から出たものだと、晴明には感じられる。柏サリエンテから正式な獲得オファーが届いているはずなのだが。

 もしかしたら、柴本は楽しいという演技をしているのかもしれない。だけれど、二人の間に流れる親しがな空気だけは間違いないと思った。

 気がつけば、ピオニンやカァイブも寄ってきている。三人のマスコットを見回すと、柴本は活発な声を出した。

「よし! じゃあ、みんなで写真撮ろっか!」

 四人は横一列に並ぶ。柴本が肩に手を回してきたので、同じように晴明も手を回して柴本と肩を組んだ。ピオニンやカァイブも肩を組んでいるから、さながら試合前の選手たちの集合写真のようだ。

 筒井や芽吹を始めとして、大勢のファン・サポーターがピッチサイドから、そしてメインスタンドからスマートフォンやカメラを構えている。次々に切られるシャッター音に、晴明は誇らしさを感じていた。

「ライリス」。写真撮影が終わったタイミングで、晴明は柴本から再び声をかけられる。差し出された右手の意図に素早く気づいて、晴明も右手を動かす。

 二人はがっちりと握手をした。フェルト越しに柴本と目が合う。自分のことは見えていないだろうけれど、晴明からは柴本がはっきりと見えて喜ばしかった。

 柴本はピオニンやカァイブと握手をして、ピッチへと向かっていく。去り際に振られた手が、晴明にはまた会おうと言っているように見える。

 大きく手を振り返しながら晴明は、柴本にハニファンド千葉に残ってほしいという思いを、また強くしていた。

 コンコースでは、選手のサイン会が行われている。今シーズン限りでチームを離れることが発表されている選手がいることもあり、ファン・サポーターの列は途切れることがない。

 ピッチでは、触れ合いミニサッカーが行われている。誰もが思わず笑顔になっている様子は、和気あいあいという言葉がぴたりと似合う。

 大型スクリーンの中では、選手たちがオフの日の過ごし方をざっくばらんに語っている。

 どこを切り取っても穏やかで優しい空気が流れる中、晴明と桜子はメインスタンドを見回していた。ちょうど真ん中あたりに座っている二人を見つける。

 話しかけると、二人は今日も出店しているスタジアムグルメのカレーを食べる手を止めて、晴明たちを見上げた。

「似鳥さん、文月さん、来てたんですか」

「はい。時間があったので来ちゃいました」

「選手のサイン会には行きましたか? サインだけじゃなくて、少しなら話すこともできますよ」

「これから行こうかなと思ってます。高砂選手や柚木選手は今シーズンでお別れですからね。話せるときに話しとかないと」

 桜子と由香里が形式的なやり取りをするのを、晴明はしげしげと眺めていた。莉菜もいる手前、平日に会ったことはなかったような話し方をしていたが、この半年ほどで深まった関係は見ているだけで感慨深い。

 肝心の莉菜も自然な表情をしている。口元に少しカレーが付着しているのが、晴明との精神的距離をぐっと縮めた。

「二人とも、もっと早く来ればよかったんですよ。そうすればライリスたちとも触れ合えたのに。普段ボランティアしてるから、こういう場は貴重じゃないですか」

 わずかに口を尖らせる莉菜。自分がライリスの中の人だとはまだ知られていないらしいと、晴明は人知れず安心した。

「確かにそうですね。ちょっと休日ってこともあって、なかなか起きれなくて。莉菜さんの言う通り、もっと早く来ればよかったです」

「本当そうですよ。いつまで寝てたんですか。休日だからってダラダラしてちゃよくないですよ。特に今日は」

 軽く釘を刺してくる莉菜を、晴明は小さく笑うことで受け流した。自分が怠惰だと思われても、莉菜になら別に構わないと感じていた。

「で、どうですか? 二人ともファン感満喫してますか?」

「はい! 選手にもたくさん会えて、普段は見れないスタジアムの中も見れて! そうそう、聞いてくださいよ! 莉菜、選手とのミニサッカーでゴールを決めたんですよ! 凄くないですか!?」

「ちょっと、お姉ちゃん。興奮しすぎだって。別にそんな大したことじゃないよ」

「そう? でも、莉菜。ゴール決めた瞬間飛び上がるほど喜んでたじゃん」

「ちょっと、やめてよ。そういう話。恥ずかしいじゃん」

 莉菜は晴明から見ても分かるほど、頬を赤くしていた。でも、晴明は莉菜がゴールを決める瞬間を見てみたかったと思う。自分のことのように喜べただろうから。

「ライリスたちとはどうでした? グリーティング、参加したんですよね?」

「二回とも参加しました。ライリスもピオニンもカァイブも、いつも通り明るく元気いっぱいで。握手したり声をかけたりしてるうちに、私まで元気をもらってました」

「そうだね。今回は特に楽しかった。三人ともファンやサポーターに囲まれてて、幸せそうだなって思ったよ。私たちがあと何回ライリスたちに会えるか分からないぶん、余計に」

「ちょっと、莉菜」と、今度は由香里がたしなめている。四人の間に一瞬緊張が走る。

 だけれど、莉菜は「もう隠しててもしょうがないでしょ」と、由香里に答えていた。その姿に、晴明は胸が苦しくなり始めるのを感じる。

「似鳥さん、文月さん。今まで言ってなかったけれど、もしかしたら私たち、近く引っ越すかもしれないんです」

 知っていたとは、晴明にはとても言えない。だから口をつぐんでショックを受けているふりをした。

 いや、実際にショックは受けていた。莉菜の口から言われると、事実がより実体を持って晴明の頭に飛びこんでくる。

「えっ……、どうしてですか……?」と驚いたように桜子が言う。実に自然な演技だと晴明は思った。

「すいません。詳しいことは言えません。でも、両親が引き続き職場に通える範囲で、引っ越すかもしれないんです。千葉に限らず、東京とか埼玉とかにも行くかもしれません。もちろん、まだ決まったわけじゃないんですけど……」

 由香里が先日言ったことを、莉菜が反復して言う。

 でも、晴明は当人の口から出た分、余計に深刻な響きを感じていた。東京や埼玉に行ってもフカスタに来ること自体はできるかもしれない。それでも、莉菜や由香里と精神的な距離が空いてしまうことが、明確に嫌だった。

「莉菜さん、余計なお世話かもしれないんですけど、僕は引っ越してほしくないです」と、はっきりと声に出して伝える。莉菜が驚いたような目を、晴明たちに向ける。

「もしかしたらご両親のお仕事の都合なのかもしれないですけど、僕はお二人に千葉に留まってほしいなと思います。今の気軽にフカスタに来れる状態を維持して、また来シーズンの開幕戦で元気に顔を合わせたいです」

 どうして引っ越そうとしているのかを、晴明は聞かなかった。莉菜の口からそれを言わせてしまうことが、とてもグロテスクなことに思えた。

 桜子も「そうだよ、莉菜。引っ越したら試合のとき以外は、なかなか会えなくなっちゃうよ」と乗じている。まるで自分の知らないところで莉菜たちに会っているかのような口ぶりだったが、晴明は深く追及することはしなかった。

「お二人ともありがとうございます。確かに今ここで繋がっている縁ってものはありますもんね」

 莉菜がピッチを見たから、晴明たちも同じ方向に目を向ける。選手と一緒にサッカーを楽しむファン・サポーターたち。誰もが、その表情に一点の曇りもなかった。

「ねぇ、莉菜はどうしたいの?」と桜子が訊く。言うまでもない質問だと晴明は思ったけれど、言葉にされることで思いを再確認したいという桜子の気持ちも、よく分かった。

「私は正直引っ越したくはありません。このまま千葉に留まりたいと思ってます。それなりにこの場所には、愛着がありますから」

 莉菜の率直な言葉に、三人は頷く。誰も「じゃあ、引っ越さなければいいじゃん」とは言わなかった。事はそう簡単ではないことは、莉菜も含めて四人全員が重々承知していた。

 それでも、晴明は莉菜が千葉に留まってくれることを望む。

 それはライリスの中の人だからではなくて、ただ単に何度も顔を合わせている友人として思ったことだった。


(続く)


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