キャズムを超える橋は何か?

ブロガーのA1理論さんが大変おもしろい記事を書いていました。

で、ぼくの問題意識はこの「キャズム」にあるのではないか?という気づきがありました。

▼『キャズム』という言葉がある。 
この▼サイトの図が分かりやすいかな? 
「キャズム」の画像検索結果
https://swingroot.com/chasm
商品が初期市場からメインストリーム市場に入って行くまでの、
「価値観の違い」という『深い溝』のこと。
『資本主義』の次の思想の名前がどういう名前なのかわからないけど、仮にそれを『ポスト資本主義』と名付けよう。
『ポスト資本主義』の思想は、今、この『キャズム』の段階なんじゃないかな??
で、ここで注意なのは『ポスト資本主義』と言っても、PCもスマホも持たず、山の中で完全自足自給暮らしというわけではない。
『資本主義』をカンストしたからこその、『ポスト資本主義』なので、PCもスマホも持っていい、というかそれらを使って自分の『時間』を売り買いすべき!
これは人類が農業革命を経て産業革命、産業革命を経て工業革命に移行したのと全く同じ過程だと僕は考える。

このキャズムによってもたらされるもの。

それがぼくがいう「超格差社会」と「強烈な自己責任論」だと思う。

キャズムによって断絶されたアーリーアダプターとレイトマジョリティーの闘争。

これはつまり、小規模な話ではネット上での「炎上」であり、大規模な話では「テロ」なのだと思う。

経済的に恵まれなかった人や生きがいを奪われた人たちが抱く感情はとても恐ろしい。

時に自分の命をなげうってまで、相手を貶めてやろうという人は世界中に意外なほどたくさんいる。

なぜそんな想いを抱いてしまうのか?

それは結局、経済が生活を下支えしているからだと思う。

ぼくらは電気もガスも水も、お金で買っています。

住む家も、大枚はたいて買ったり、毎月少なくない家賃を支払ったりしている。

つまりお金がない=生活ができない、なのだ。

だからお金がなくなった時に力づくにでも誰からから奪おうとするのはある意味で自然な行動に思える。

自らの生命維持なのだから。

だとすれば、生活と経済を極力切り離して、経済力がなくても生活と尊厳が維持されるべきだ。

そのための資本主義の1つの回答がベーシックインカムなのではないかな?

しかし、ベーシックインカムも完璧ではない気がする。

裏を返すと、「ベーシックインカムでも生活できないヤツはもう知らないよ!」という言い方もできるから。

そうなると、共産主義や山奥で自給自足しかない?という結論になるかと思う。

でも、やっぱり違ってぼくが注目しているのはインフラやエネルギーの民主化とそのためのテクノロジーだ

PCやスマホによって、情報が人々の手に渡ったように、エネルギーをそれぞれで自給できるようになるのではないかな?

これをポスト自給自足と名付けようw

実際に「プロダクトのカンスト」によって生活必需品はどんどん安価になっている。

ちょうど格安SIMによってスマホ料金が劇的に安くなったように、電力会社が規制緩和されたことで電気料金も下がっていく。

そして、新時代の「自給ツール」もどんどん発展していくと思う。

例えば、食の面で言えば、今はIT農業とか言って、機械でハウス内を徹底管理し、収穫量を劇的にあげる農法が広まってきている。

おそらくそのテクノロジーが今度はマンションの屋上へ、そして個々人の家庭菜園へと降りていくではないかな?

このように国や企業が人々の生活を再び人々の手へと戻す動きが加速すると思う。

そしてその前提でもってしか、ポスト資本主義は成されないのではないかな?

ただ、残念ながら今は過渡期だから情報格差がそのままキャズムになっていると感じる。

キャズムを乗り越える橋とは何か?

残念ながらそれはぼくもわかっていない…。

今のぼくにはミニマリズムを声高に叫ぶことしかできないと思う。

やっぱり目の前の現実が劇的に変わることが効果的かもしれない。

つまり電気料金が月額定額500円とかになれば世の中変わる!w

「サポートよりSNSでの拡散がうれしいです!」という人が多いですが、ぼくは普通にサポートうれしい派です。