「フィンランドの教育はなぜ世界一なのか」を読んで

コロナ禍の中で、”教育”がかなり議論されている。

教育の機会均等、オンライン教育、経済格差、9月入学が最近のトピックであろう。ここ最近のマイブームであるフィンランド教育から、現在の問題点や今後の展望を考えてみたいと思う。

まずは、「フィンランドの教育はなぜ世界一なのか 著:岩竹美加子」を読んで、フィンランド教育の特徴を3つにまとめてみた。

①学校教育と仕事(生き方、人生、幸せなども含んだ意味合いで)が直接的に結び付いている。

これは、フィンランドの社会システムや学校制度に起因しているのかもしれないが、自身の学びが、将来の選択や仕事内容にダイレクトに結びついている。

フィンランドの高校は普通高校と職業学校に別れる。中学校を卒業すると、まず将来を意識した進路選択をしなければならない。フィンランド人は我が子であってもあまり干渉をしすぎないという風潮があるため、自身の進路選択を早い段階で考えなければならない。そして、高校の時間割は自分で組む。日本の大学生のようなイメージだ。また、高校を卒業すると、大学は総合大学と応用科学大学に別れる。そこで就職を意識したダイレクトな進路選択が迫られる。日本のような、なんとなく経営学部に入学する…などの状況は許されない。なるほど、それは、真剣に勉強もするし、真剣に将来や職業を意識することになる。

②「学びの本質」を自ら考える。

フィンランドには「人生観の知識」という科目がある。日本の道徳のような科目だ。これは人間としての権利と義務を考えさせる授業構成になっているようだ。小学校では教室内のルールを児童が自分たちで考え、決めている。なぜこのルールを作るのか、もしもルールを破った場合、罰則があるのかどうか。自分たちでルールを作り、自分たちがそのルールを守る義務を作っているのだ。この過程で、子どもたちは物事の本質を考え、権利と義務を腹落させている。日本の子どもたちも自分で目標は立てるが、月並みの答えであったり、大多数の意見に合わせるという傾向が強い気がする。

③子どもたちは様々な選択肢が用意されている。

フィンランドの教育は至ってシンプルである。入学式や始業・終業式、運動会などの学校行事もなければ、学力テストや偏差値もない。制服や校則もない。そのシンプルな教育を支えているのが、教育無償化や平等、子どもの権利である。それ故に、その時どきで自分で判断をして、行動をしなければならない。自分で決められる分、多くの選択肢が用意されている。それだけ自分の選択に責任が伴う。フィンランド教育の面白いところは、「学習をする義務はあるが、学校に行く義務はない」ということだ。日本の場合は学校に行く義務がある。フィンランドは学校を強制していない。学校に行く以外の方法で学習を満たすことができる。ネットやホームスクールというシステムだ。先に挙げた高校や大学の学校選択然り、高校や大学の授業選択然り、フィンランドの子どもたちは大きな責任を持った中で、自身で将来に直結した選択をしているのだ。なかなか日本では考えられない選択肢と責任の重さだ。


以上、フィンランド教育の特徴を私なりにまとめてみた。

私がしたいことは、日本とフィンランドのどちらが優れている、どちらが劣っているという議論ではない。このフィンランドの教育に対しての考え方や取り組みを参考に、アフターコロナ時代の教育を考えてみたい。

つづく…