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イノチガケならば

 小説の推敲作業を進めている。応募原稿であります。二編送りつけようという業の深い話で、規定にも二編までオーケーとのことだし、現時点での最大限度でこれをやってみようと。いよいよイノチガケの人生になってきている。急がなければ早晩くたばってしまう。
 そんで夜を徹してやってて、コンディション的になんか足りねえな、と思えば、単純に脳に栄養がいってないのだった。カフェオレで糖分をとったらなんとかサエが戻った。こういう場合はブドウ糖の飴が何よりも効くので、ちょっとあとで買ってこようという算段。多少のカロリーは厭わない。

 さてそんな近況もありながら、年末年始へ向けてのなんだかんだ、2020年の終了と2021年の開始をあたくしはどのように、と考えるものであります。

 いかんせん今年メチャクチャだったじゃないですか。コロナ騒ぎで。いろんなもんが後回しになったり変更になったり中止になったり、ほんと最低のウイルスだったんですけど、なに、ウィズコロナとかコロナ後の世界? そういう流れの中でワクチンもぼちぼち準備できてるっていうし、この先ある程度うまくやっていけるんでしょう人類。死ぬな。生きろ。と、こういうような「生きろ」とは「幸せになれ」と同義なんでしょうね。命令形の祈り。

 ともあれ2020年が終わります。まとめに入るにはまだ早いかもしれないんだけど。当方、金井のほうでは執筆方面で完全燃焼したらあとはもうオーケー、CDを聴いて本を読んで映画を観て年を終えます。

 あとこういうことがいいたい。たぶんすべてのクリエイターは頭ん中に大鍋を持っています。記憶や印象や意味やイメージやビジョンがごった煮でそこに入っている。その無意識下の大鍋を煮込んで、そこからすくい上げたスープをもとに作ったのが創作物だ、と最近思うんですね。恐らくそのためにも書物、音楽、映画などの鑑賞は人生経験と同じように重要なのかなと。材料としてガンガンぶち込んでいきたい。そのスープがクリーミーなのかスパイシーなのかはわからん。煮込んだそれをベースに使って、ひとつ作ってみたらできましたという何か。それがうまけりゃいいんですが。ハイロウズの歌にもあったでしょう、うまけりゃ食うと。

 以上、徹夜明けで頭がバーストしてる状態で書きました。いや失敬失敬。


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