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『逆ソクラテス』を読む

『逆ソクラテス』が柴田錬三郎賞を射止めたことを知って、伊坂幸太郎作品はもう久しぶりだと気づいた。いや、四月の時には映画『ゴールデンスランバー』を見たばかりので、ついでに原作を読んだ。正確に言えば、伊坂ワールドに夢中になったのは遠い昔だ。

その受賞をきっかけにして、もう一度伊坂ワールドに入る気持ちが沸いた。

伊坂作品には、常に異能力を持つキャラクターが登場する。『死神の精度』の千葉は人の生死を決めることができる。『あるキング』の山田はバットを振ればホームラン必至。『殺し屋』シリーズの殺し屋たちは人に気づかれない間にターゲットを消す。こんなキャラ設定は時代小説の剣豪や忍者などに共通する。そういえば、伊坂さんは柴錬賞に授与されても順当だろう。

ただ、『逆ソクラテス』の主人公は平凡な小学生たちだ。
小学生の世界は狭い。時に大人が笑って済ませることをとんでもないことと認識する。それに、人はよく記憶を美化する。時間による風化作用で、子供時代がますます美しくなる。表題作は以上二つ要素で成り立つと考えている。
小学生たちは先生の先入観を崩すため、カンニングをしたり、絵を盗んだりして、色んな「作戦」を敢行した。この軽妙な文章では少年の天真さを読み取れるが、延長線上に著者はこれからの主人公をも書いて、物語の醍醐味を味わえるようになる。

『アンスポーツマンライク』を読み始めると、すぐに快哉と心で叫ぶ。
濃密なスポーツ場面も伊坂文学の特徴と言える。『あるキング』は野球、『PK』はサッカー、本編はミニバスを描写する。一分ぐらいの出来事に多い枚数を費やし、動作や瞬間の心境を的確に捉えて、臨場感を作り出した。
それだけでなく、それぞれの進路を選んだチームメンバーたちはたまに会っった時、またともに互いに助け合う、脅威を退けるの物語はまことに颯爽とした。読み終わた時、君も幼なじみと一緒にいて、これは永遠だと信じる少年時代があっただよ、という声が耳元で響いた。傑作だ。

本作を読む最中、同じ東北出身の井上ひさしの『青葉繁れる』を想起した。
両作のベースは共通するのではないか。荒っぽい冒険の内面は純粋な原動力だ。いたずらを通じて少年の心地が見える。

今年は井上ひさし没後十周年であり、伊坂幸太郎デビュー二十周年でもある。節目の年で、井上ひさしが残った名作を振り返りながら、伊坂幸太郎の新展開を楽しみにしている。

伊坂さん、柴田錬三郎賞受賞、おめでとう!




#読書の秋2020   #逆ソクラテス

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