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第一回「あしたのジョー」(2013年8月号より本文のみ再録)

 僕らが物心ついた頃には、梶原一騎はすでに劇画界の大御所だった。ヒットメーカーとして少年誌だけでなく青年誌にも連載の場を広げ、数多くの作品がテレビアニメ化や映画化されていたのだ。マンガから、テレビから、そしてスクリーンから幾多のドラマを浴びるようにして育った僕らは(好むと好まざるとにかかわらず)梶原作品から何らかの影響を受けている。大人になった今でもその影響を自覚させられる場面があるという人も多いのではないだろうか。そこで本連載では、僕らになじみ深いと思われる梶原作品を取り上げ、そこから受けた強い影響について掘り下げることにした。記念すべき第1回は「あしたのジョー」!

※『あしたのジョー』作品データとあらすじ


昭和40年男と梶原作品の関係

さて、『あしたのジョー』について語る前に、梶原一騎その人について語っておく必要があるだろう。また、彼の作品と僕らの関係性に関する筆者の自論も述べておきたい。
 当初は小説家を志して活動していた梶原一騎。とある編集者からの依頼で当座しのぎのつもりで引き受けたのがマンガの原作に携わるきっかけだった。そしてこれが縁となり、当時国民的大スターだった力道山との親交が生まれ、プロレスやボクシングなどのスポーツを題材にした作品が評判となる。その後、多数のマンガ原作を発表していくなかで、週刊少年マガジンに連載した『巨人の星』が大ヒット。続く『あしたのジョー』も当時の若者を熱狂させる社会現象を巻き起こした。梶原一騎は、その頃まだ確立されていなかった劇画原作というジャンルのパイオニアとなったのである。
 そんな梶原一騎とその作品に影響を受けた世代はいくつかに分けることができる。少年週刊誌連載のデビュー作となった『チャンピオン太』(週刊少年マガジン/62年)と、それ以前の月刊誌に連載されていた絵物語を読んでいたのを“梶原マンガ第一世代”とすると、梶原の名を全国的に知らしめた少年マンガの傑作『巨人の星』(週刊少年マガジン/66年)と『あしたのジョー』の大ブームのなかにいたのが“第二世代”だ。
 そして『侍ジャイアンツ』(週刊少年ジャンプ/71年)、『柔道讃歌』(週刊少年サンデー/72年)、『愛と誠』(週刊少年マガジン/73年)など各少年マンガ誌のヒット作を誌面だけでなく、テレビアニメやドラマ、映画といった幅広いメディアで体感できた昭和40年男は“第三世代”に当たる。
 ちなみに“第四世代”は『プロレススーパースター列伝』(週刊少年サンデー/80年)、『悪役ブルース』(週刊少年マガジン/82年)など、格闘技路線から作品に入った世代だ。

僕らとの出会いはオンタイムではなかった

 そんな梶原マンガ第三世代である僕らにとって、昭和42年末に連載が開始された『あしたのジョー』は、オンタイムな作品ではない。学生運動や70年安保を体感していない身には、主人公の矢吹丈=反体制、ライバルの力石徹=体制という読み方もピンとこないし、力石の葬儀(※1)も、よど号事件の犯行声明文(※2)も、後追いの知識にすぎない。本作の初見がマンガは単行本、アニメは再放送だった僕らにとって、矢吹丈は他のスポーツマンガと同様の主人公という認識しかなかった。
 でも、作品中で描かれた時代背景を知らなくても、僕らは『あしたのジョー』を十分楽しめた。
丹下段平が教えるジャブやストレートの撃ち方の台詞(あしたのために)を懸命に暗記して試したり、クロスカウンターやノーガード戦法を真似してボクシングごっこをしていた昭和40年男は多いはずだ。そんな、いくつかの懐かしいマンガ体験の一つである『あしたのジョー』は、数年後に同世代体験として記憶により深く刻み込まれることになる。
 きっかけは本作の映画化だった。当時、梶原一騎が興した映画制作会社・三協映画で実写映画化を企画するも、矢吹丈役がどうしても決まらず、結局テレビアニメの再編集版として劇場公開されたのが80年3月のこと。これが当時のアニメブームとの相乗効果もあってリバイバルブームとなったのである。映画の宣伝のために再放送されたテレビアニメは視聴率30%越えを記録し、キャラクター商品も売れに売れて映画も大ヒット。ファン同士の交流が盛んになったり、多数刊行されたムック本で紹介される連載当時のエピソードにより、作品の持つ奥深さを知ることができたのもこの時期だ。
 こうした人気を受けて作られた新作テレビアニメ『あしたのジョー2』(80年10月放送)とその劇場版(翌81年7月公開)で描かれた矢吹丈のリング復帰から伝説のラストシーンまでをオンタイムで体感できたこの期間こそが、昭和40年男にとっての『あしたのジョー』といえよう。

今、改めて考える“燃え尽きる”意味

「燃えているような充実感は今までなんどもあじわってきたよ...血だらけのリングの上でな そこいらのれんじゅうみたいにブスブスとくすぶりながら不完全燃焼しているんじゃない ほんのしゅんかんにせよ まぶしいほど まっかに燃えあがるんだ そして あとにはまっ白な灰だけがのこる...燃えかすなんかのこりゃしない...まっ白な灰だけだ そんな充実感は拳闘をやるまえにはなかったよ」(講談社刊完全復刻版『あしたのジョー』14巻103ページより)
『あしたのジョー』伝説の一つに、このラストシーンまつわるエピソードがある。梶原一騎が書いた原作に納得しきれなかったちばてつやが、スタッフや編集者と一緒に考えたといわれているラストシーンは、平成の現在でもその解釈をめぐってさまざまな論争を生んでいる。本連載初回の最後に、このシーンについて語りたい。
 梶原一騎が、勝利の条件について語った言葉がある。
「勝利の条件とはなにか。たんに、かたちのうえの勝ちを勝利とするなら、けもののあらそいにひとしい。人間の勝利は結果にあらず、結果をめざす遠い道に、いかなる足あとをしるしたかにある。いかに努力し、いかに戦い、たおれてはまた、いかに立ちあがったかにある。したがってー、勝利よりもけだかい敗北もありうる」(講談社刊小説『巨人の星』3巻より)
 矢吹丈が求めるものも、栄光や勝利ではなく、自分が決めた生きざまを貫くこと。途中で棄権したりせず、たとえ不完全な状態でも全力で闘い切ること。紀子に語った冒頭の台詞からは、これまでも試合をとおして何度も燃え尽きていたことが読み取れる。だからラストシーンでの丈の笑みは、最後まで貫けた充実感や満足感にあふれた微笑だと思う。
 だとすれば、ラストで丈は生きているのか?それとも死んでいるのか?という解釈の論争がいかに不粋がおわかりだろう。力石との出会いによって見つけた自分の“あした”への道程。一度は自らの手で消してしまったその道程だったが、白木葉子の助力で(力石の死後は、まさに丈と葉子の戦いのドラマでもある)再び満身創痍になりながらも全力で“あした”へ走り抜けた矢吹丈。その青春の最後の静止した瞬間を捉えたのがあのラストシーンだと思いが、皆さんはどのように思われるだろうか?
 昔読んだきりでストーリーもおぼろげなアナタ!本棚にコミックスを眠らせているアナタ!そして、折に触れ読み返しているアナタも!これを機会に『あしたのジョー』を一騎に読め!

『あしたのジョー』を読んでみよう!(Amazon Kindleへリンク)

※1 『少年マガジン』70年2月22号にて力石が試合後に死亡したのを受け、寺山修司の呼びかけで、講談社講堂にて葬儀が行なわれ、ファン数百人が集まった。
※2 赤軍派が日航機をハイジャックし北朝鮮へ亡命した「よど号事件」において、犯行声明文に「我々は『明日のジョー』である」との一文があった。

【ミニコラム・その1】

君はラジオドラマを知っているか?
『あしたのジョー』が1977年10月にTBSラジオで“ラジオ劇画傑作シリーズ”としてドラマ化されたことをご存知の方はいるだろうか?毎週平日にオンエアされ、丈役に声優の安原義人、力石役に清水紘治、丹下段平役に斎藤晴彦という舞台俳優をキャスティングしていた。筆者も数回聴いた程度の記憶しかなく、ファンにとって幻の作品となっている。読者の中で当時エアチェックしたテープを保存されている方がいたら連絡してほしい、マジで(笑)。

第二十九回「あしたのジョー」(その1) を読む

第三十回「あしたのジョー」(その2) を読む

最終回「あしたのジョー」(その3) を読む