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第三十回「あしたのジョー」(その2)(2018年6月号より本文のみ再録)

 『あしたのジョー』は、セリフや設定の変更を一切認めない梶原の原作改変を許された唯一無二の作品である。たとえば、有名な真っ白に燃え尽きたラストシーンや、ジョーに淡い思いを寄せる乾物屋の娘・紀子とのデートシーンなどは、梶原の原作にはなく画を担当したちばてつやによる創作なのだ。
 この事実を広く一般に知らしめるキッカケとなったのが1995年に刊行された梶原評伝の名著『梶原一騎伝 夕やけを見ていた男』(斎藤貴男著/新潮社刊)で、当時の梶原ファンにとってそれはまさに青天の霹靂であった。冒頭で述べたそれまでの主義を曲げ、マンガ家の改変を許してしまった『あしたのジョー』は、以来その評価が高まれば高まるほど梶原ファンにとって複雑な愛憎が入り混じった作品となる。また梶原にとっても、ちばにとっても各々の作品史のなかで他とは一線を画し異彩を放つ存在となった。本作をめぐり、原作者とマンガ家の間に一体何があったのだろうか。

※『あしたのジョー』の作品データとあらすじ


ちばてつやと梶原一騎 それぞれのこだわり

 「梶原さんの原作はとにかくどんどんたたみかける感じで、グッとつかんでおいて、グイグイ読者を引っ張っていく。(中略)僕は何かそれだけだと描いても息が詰まるし、読者としても疲れるんじゃないかと感じたんです」(※1)
 こう語るちばは、『あしたのジョー』連載第1回で、梶原の原作を使わずに描いている。梶原が書いたのは、小さなジムの会長だった段平が育てた選手捨てられた末に落ちぶれてドヤ街に流れてくる...というものだったが、ちばはジョーと段平の出会いを描く。梶原にもここまで積み上げたキャリアがある。掲載誌を見て当然怒り、抗議したが、編集部からの説得や、ちばのキャリアを考え、一度は胸に納める。しかし数週にわたり、ちばの展開を受けて書いた原作が一回も使われないと知るや「こんな馬鹿くせぇこと、やってられっか!もう俺はオリる!」(『夕やけを見ていた男』より)と激怒する。
 折しも、本作の連載が始まった1968年は、梶原にとっては勝負の年でもあった。一時の流行ではなく確固たる自身の存在を確立させようと挑んでいた時期だったのだ。その決意は仕事量にも表れていた。当時『巨人の星』『夕やけ番長』『柔道一直線』『ファイティング番長』(※2)『青春球場』(※3)『キャプテンスカーレット』(※4)など少年誌から青年誌、児童誌まで幅広いジャンルで抱えていた連載に加え、さらに前年末の同時期に『タイガーマスク』『甲子園の土』(※5)をスタート。これまでにない過密スケジュールであり、その多忙ゆえに仕事場も西麻布のマンションに移し実働15時間以上。新築だった軍艦御殿に帰宅できるのは土曜夜から月曜朝のみだった。すさまじいまでの仕事ぶりに、身体を心配する実弟(真樹日佐夫)の忠告にも「睡眠時間三、四時間ってのも物書きだけに限るから大層なことのように思えるんであって、ちょっと売れてるタレントたちのなかにゃごまんといるんだ」(※6)と得意げに得意気に語ったとか。そうまでして梶原を駆り立てたのは、劇画原作者の地位を固めつつも、ヒットメーカーとして既存の作品以上のものを作りたいという創作意欲の表れだったと言えよう。
 そんな時期に、早くも迎えた連載中断の危機だった。編集者の仲介のもと、梶原とちばは互いの気持ちを話し合う。
 「表現方法は違っていたけど、原作をまったく無視して使わなかった、ということではないんです。梶原さんが“こういう男を表現したいだろうな”とか“こういう雰囲気を出したいんだろうな”ということは、もう頭に入れて描きましたから。この人物をどうやったら描けるだろうって、あれこれ考えているうちに、原作と違ういろんなエピソードが入ってきちゃうんですね」(※1)
 原作はあくまでも素材であり、それを最適な展開で表現するのがマンガ家である...とするちばの作法を、結果として梶原は認める。多作を抱える自分とは異なり、本作のみに集中せんがため連載をこれ一本に絞ったちばの意欲に感じるものがあったのか。作品世界を深く理解しようと山谷のドヤ街への潜入も試みたというちばの行動力に、梶原は純文学マンガという新分野成功の可能性を賭けてみたのかもしれない。
 互いの思惑が合致すれば状況は好転する。物語はジョーの詐欺事件を発端に少年院へと舞台を移すと、が然人気は爆発した。

※1 『ちばてつやとジョーの闘いと青春の1954日』豊福きこう・ちばてつや著/講談社刊。
※2 『週刊少年キング』(少年画報社)連載。水島新司とコンビを組んだ唯一の作品。
※3 『ヤングコミック』(少年画報社)連載。梶原は監修としてクレジットされ、実弟の真樹日佐夫が構成を担当。
※4 『小学六年生』(小学館)連載。イギリスのSF特撮人形劇番組のコミカライズ。
※5 『少年画報』(少年画報社)連載。(画・一峰大二)
※6 『兄貴・梶原一騎の夢の残骸』真樹日佐夫著/飯倉書房刊より。

コミカルとシリアスのバランス

 ちばによる改変の事実を踏まえたうえで本作をあらためて読み直すと、さまざまな発見がある、特に筆者がおすすめするのは東光特等少年院編だ。ネジリンボウやパラシュート部隊といった院内でのリンチシーンでは梶原の感化院入所経験や、弟・真樹の持つ少年院経験が物語のディテールに活かされている。一方、そうしたシリアスで重くなりがちな展開のなかに、どうにかして自身の作風を盛り込もうとするちばのせめぎ合いが見て取れるのだ。たとえば、ボクシングへの意欲をみせたジョーを直接指導しようと少年院に出向いた段平とチビ連中。肉親以外は中に入れないと知ると、自分たちは慰問団だとうそぶいて下手な芸を披露する場面がある。そこでは、読者に感情移入しやすい展開を作るためにちばが創作したというチビ連中のドタバタだけでなく、狂気の拳闘崩れとしてストイックな師匠キャラだった段平までもが浪花節を披露し、規格外な音痴で相手を辟易させてしまう姿もコミカルに描かれている。自身の創作キャラだけでなく、梶原が作ったキャラも縦横の描いて多様さを表現したちば。こうした場面の挿入がドラマに緊張と緩和を作り、ストーリーの流れをリズミカルにしているのだ。
 その意味で東光特等少年院編は、梶原とちばの互いの持ち味がキレイに混ざり合ってはおらず、だからこそ随所に“らしさ”が散見できる。そこに読んでいてデイープな味わいがあると筆者は思うのである。(次号へ続く)

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【ミニコラム・その30】

唯一現存する原作原稿
『週刊少年マガジン』誌上にて足かけ5年4ヶ月に及ぶ連載は全252回を数えた。しかし現存する原作原稿はたったの1回分しかない。2009年にアニメ制作会社で偶然発見された14枚の直筆原稿は1969年45号用のもので、バンタム級への減量に成功した力石が階級転向第1戦で見せたアッパーカット戦法への対抗策を模索する丈と段平のやりとりなどが書かれていた。掲載号と比較すると、マンガで表記された「ジョー」が原作では「丈」。隠れてうどんを食べてジョーに鉄拳制裁された西が、原作ではそれ以来ジムを休んでいたりと、ちばの梶原原作に対するアレンジ具合や新たな発見もある。マンガ史的にも貴重な遺産と言える14枚だ。

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