見出し画像

皆の上にある真の幸せの形を カティ・オウティネンの姿に見る

今置かれているこの状況はいったい、“本当は”いつから始まっていたのだろう、とふと考えてみる。コロナ騒動のことだ。初期の頃は、「予想外の惨事」が「急にやってきた」と思っていて、だからこそ「すぐに収まる、今だけの騒動」と信じ、外出しないことでコトが収まるのならば、「お家でのんびりを楽しもう」とさえ、私は思っていた。それがどうだ。全くそんな「今だけ」のことではなく、相当な年月を費やして、それでももう元には戻らず、もしかしたらもうずっと前から、人類行動脳の大変革を『地球』や『宇宙』、『微生物』たちは、必要としていたのかもしれない、と最近私は思っている。無知ゆえすぐに、大袈裟に考えてしまう自分の直したい部分もこの際受け止めて、今までとは違う思考が見えるような映画が観たい。こんな時にも映画は偉大な指南役となってくれる。

アキ・カウリスマキという映画監督をご存知だろうか。世の理不尽によって底を生きる人々の“ささやかだけれど強さのある幸福感”を独特な色と音で綴るフィンランドの作家だ。そこに“常に”登場するのが、今回紹介する女優カティ・オウティネン。どんなに苛酷で悲惨な場面でも、彼女が現れると不思議と爽やかな安心感がある。そして、凛として気品のある優しさ、一度観たら忘れられない微笑み。バブル弾けた東京で初めて観た『ラヴィ・ド・ボエーム』(1992年)は、淡々とした演技に最小限のセリフ。美しく悲しい幕引きに心を乱され、もう一度観たいとずっと思っていた。そこには何か、まだ自分がよく知らない“真の幸福の姿”があるような気がしていたのだ。その記憶を基に最近、ほぼ全ての彼女の作品を観た。今、観たかった。それを確かめたかった。

誰もが少なからず「新しい生き方」を模索している今。周囲にどんな予想外のことが起ころうとも、人生とはささやかな喜びの繋がりが大事なのであり、何も大きなジャンプは必要ない。全ての命が誇りを持ててなお境界線を保ち、それぞれの色や音を奏でて共鳴できるカティの“許しのような微笑み”が今心に沁みる。

読んでくださりありがとうございます。いただいたサポートは作品の制作や個展開催の費用として使わせていただきます。