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「何となく」を続けていると経営は錆びつく

社内にごろごろとある「何となく」の正体

「何となくやっている」「何となく続けている」「何となく出社する」「何となく話し合っている」・・・どの企業にも長年続けている当たり前のようなものが存在します。社内を見渡せばごろごろとあるはずです。

コロナ禍でこれらの「何となく」が随分とあぶり出されてきました。もちろん、意味と価値を持っているものならば、問題ないのですが、意味もなく、効果にもつながっていないことが案外多いのです。

時代は変化、変容します。これまでは何となく選ばれていたとしても、それが続く保証はありません。明確な選ばれる理由がなければ、「地元だから」「長年の付き合いだから」「歴史があるから」はまったく通用しません。

「何となく」から生まれる時間とコストの浪費

意味をなさない手垢のついた習慣や惰性で続けている行動は「積年の垢」のようなものです。この垢が積み重なって、結構な時間がとられていることが少なくありません。側から見て、誰も不思議に思わないのが不思議です。

時間はコストです。例えば、何となくやっている会議に参加している人件費の総和を算出すれば、馬鹿にならない額であることに気づくはずです。何となく置いてある資料や物もスペースコストを費やしています。

新入社員も最初は「何だか変だな」と思っていても、いつの間にか「そういうものだから」になり、当初の違和感は消えて、それが当たり前になります。納得できない人は見切りをつけて、他に移っていきます。

「なぜこれをやるのだろうか」という問いかけ

コロナ禍は「何となく」を一掃するいい機会です。一掃するには「なぜこれをやるのだろうか」と問いかけることです。意味と価値がゼロというのは少ないのかもしれませんが、代替えでOKなことがたくさんあります。

意味と価値がなければ、どんなに長く続けていることでも即ストップです。「ウチの伝統だから」は聞こえはいいのですが、社員のストレスになっていることもあります。実際には「やめても何も影響が出ない」が多いのです。

若い経営者はこの辺りをわりかしスパッと切り替えますが、経験を積んだ経営者ほどしがらみや成功体験にしがみつきます。多くの企業と付き合ってわかるのは「何となく」を放置しておくと、経営は錆び付いていくことです。

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