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相棒の入院

 予想もしなかったことは、不意に起きる。
「オヤジやおふくろが亡くなった時でさえ、これほど落ち込まなかった。」
気落ちした私を慰めるために心配して近づいて来たMさんに発した“呟き”が衝撃の大きさを表していた。
 ZOOMを使った演劇の録画編集を頼まれ、仮想空間で繰り広げられた映像の編集を終える頃、突然、画面が白色に変わり、波打った。激しく動く画面をただ見つめていた。
「えっ。」
思うまもなく唐突に電源が切れる。
「不安が過ぎる。」
仮想空間でのデジタルデータを苦労して編集したものが消えてなくなってしまう。
「それだけか?」
不安を押さえ込みながら見守っていると再起動が始まり正常画面に戻った。
「助かった。」
そればかりか先ほどの編集画面も生き残っている。Macの自動保存のお陰で縮んでいた肝が、そして気力が回復した。
 9年間一緒に活動したiMacのタダならぬ状況から元データだけでもバックアップをとり、残りの編集作業を再開する。
 案の定、10分後に再び白い画面が現れ、再起動を繰り返すようになった。しかし、パスワード入力画面に届くことはなかった。ネットで調べ、12時すぎまで復旧作業を行ったが、息を吹き返えしてはくれなかった。
「修理に出すか?」
「買い換えるか?」
定年間際に購入して丸9年、毎日欠かさずお世話になった。定年後の人生は27インチディスプレイを見ながら過ごした。
 寝る前、Mさんに慰められ「落ち込み具合は過去最高だ」と表現した。翌朝、暗い内から目が覚めた。
「心配で眠れなかった。」
相棒の前に座って昨夜も試した復旧を再度、試みるも、結果は同じ。
「買い換えるか?」
スマホで調べる。
「同じタイプは26万円。」
「君はそれ程高価なコンピュータだったのか?」
定年の前祝いで奮発した。あれから9年、
「よく働いたなあ。」
「君も定年退職か?」

 世界一の健康寿命はシンガポールで、日本が2位。共に75歳前後である。
「私は日本人の平均的な健康寿命まで、あと6年。」
「健康寿命が尽きるまでは君と過ごしたい。」
朝10時、電話をして修理店に持ち込んだ。
「相棒の入院だな。」
人生を閉じるのは、まだ早い。手術して健康を取り戻し、後少し、共に過ごそう。

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