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駄作MS Mk.Ⅸ 「RGM-79AR ジム・エアリアル」

空軍の意地

 一年戦争が開戦し、ジオンが戦場に投入した新型兵器「モビルスーツ」は地球連邦軍を各地で粉砕、戦争に革命が起きた。そうして戦争に革命が起き、技術的革新が進んだ時、意図せずして駄作機は生まれるのである。

 地球連邦軍内部の兵器開発部門は縦割り官僚システムに依存しており、陸軍・空軍・海軍・宇宙軍の各兵器開発局が乱立していると言う状況ともいえ、それぞれの開発局の連携体制は整備されていなかった。そしてそれぞれの兵器開発局がモビルスーツ対抗兵器を独自開発すると言う状況で、地球連邦陸軍はその独自開発兵器としてRX-79[G]陸戦型ガンダム、RGM-79[G]陸戦型ジムの製造に踏み切った。
 一方で連邦軍上層部もこの状況に手を拱いていたわけではなく、レビル将軍が主導してモビルスーツ開発計画を推進、V作戦としてその成果は結実しつつあった。

鷲は舞い降りた

 その状況をよしとしないのが地球連邦空軍であった。連邦陸軍及び宇宙軍がモビルスーツを配備しつつあるにもかかわらず、連邦空軍にはその切り札になる兵器モビルスーツがなかったのである。元々連邦空軍は創設が古く歴史があるため連邦軍内部での政治力は強かったが、一年戦争の経過を受け「発言力が大きいだけの何もしない軍隊」と言うイメージが強まりつつあった。
 連邦空軍はこの状況を打開するために次期主力戦闘機開発計画を取りまとめつつあったがこれを全て白紙にし、目下開発中だった機体も全て開発計画を停止することとなった。それによって浮いたリソースを次期主力戦闘機開発計画XFGM-79へと集中させることでこの状況を打開しようとしたのだ。これが後に「ジム・エアリアル」と呼ばれる機体となるのである。

 連邦空軍がモビルスーツを配備する以上、それはただのモビルスーツであってはならない、すなわち飛行能力を持ったモビルスーツでなくてはいけないのである。そしてこの機体の開発に最も必要なのは「軽さ」であり、そもそも軽くなければ飛ばすことなど不可能なのである。そしてモビルスーツとしての機能を持ちつつ、戦闘機としての機能も持たせなければならないのである。
 よってこの機体の開発に選定されたのはRGM-79L、ジム・ライトアーマーであった。ジムライトアーマーの機体重量は36.8トンとかなり軽量であった。この機体を連邦空軍兵器開発部がさらなる改良をすることとなる。

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ジム・ライトアーマー

 ジムライトアーマーは通常型ジムを軽量化して機動性を上げ戦闘機パイロット向けにチューニングした機体であったが、これをさらに軽量化し機体の重量を35トンまで軽量化することに成功した。一部の装甲は弾片防御程度の装甲のみしか装備していないが、重要部の装甲はジムライトアーマーと同程度の装甲を維持した。

 肝心の飛行能力についてはハンググライダーと似た形状の飛行ユニットを装備することで飛ぶこととした。FP-79「ネクロマンサー」と命名されたこの飛行ユニットはバックパックと接続し、ジムが腕で保持し2点で支える形とした。翼型は緩やかなテーパーのついた後退翼でハンググライダーと同様に無尾翼の形状とし、両翼下部にジェットエンジン2基ずつを装備した。一基の推力が25,000kgで4基で100,000kgとなり、飛行ユニットを装備した状態での全備重量が71トンであることから理論上垂直上昇すらも可能な大推力を確保した。
 ジムライトアーマーではオミットされた60mmバルカンを飛行ユニットに4基搭載し火力を確保した上、飛行ユニット自体にハードポイントを装備しており、デフォルトでは対空ミサイルランチャーを装備しているが場合によっては爆弾等を装備することも考慮されていた。
 ジム本体の武装についてはビームライフル系の技術が与えられなかったため陸戦ガンダム等が装備している100mmマシンガンを装備し、ビームサーベルに関しても戦闘機であることから不要とされ撤去された。

 これらの軽量化と飛行ユニットにより完成したXFGM-79は0079年10月に初飛行に成功し、自力での飛行能力を確保していることが確認された。最高速度はマッハ1.75と戦闘機としては遅いがモビルスーツの空気抵抗問題を解決できていない以上不可能であり、これはモビルスーツゆえの汎用性で解決するものとした。
 それ以上に問題とされたのが航続距離の問題で、飛行ユニットの翼全面を燃料タンクとして運用するインテグラル・タンクを採用したにもかかわらずその航続距離は820kmと非常に短い足しか確保できなかった。これを解決するために追加燃料タンク、増槽(ドロップタンク)の装備をすることとしたが、これでも航続距離は1280kmと十分な航続距離を確保したとは言い難かった。航続距離の短さは基地の防衛を担当する防空戦闘機としての運用は可能だが制空戦闘機として運用するために空中母艦ミデアを必要とするという問題を抱えてしまった。また空中給油機能を装備することで航続距離の延長も行ったが、足の短さの根本的な解決には至らなかった。
 そこで空軍は制空戦闘機として進出し空中戦をしたのち、飛行ユニットを放棄して地上を歩行して帰還するという戦術も考慮することとした。モビルスーツであることを最大限生かした戦術であるが、帰還できるかどうかには大きな疑問はあった。とはいえ、このFGM-79は空軍の戦闘機として量産が決定した。

 しかし空軍が開発したこの機体に対して連邦宇宙軍の反応はかなり厳しいものであった。陸軍も自分たちの領分であるはずのモビルスーツを空軍が採用しているということに対してかなりの警戒感を持っており「戦略物資及資源の優先供給について」という決定では「モビルスーツの製造に必要な物資や資源を宇宙軍と陸軍に対し優先的に分配する」ことで「ジオンの地球支配一掃に向け物資の傾斜配分を利用して効率化を図る」という名目で連邦空軍に対する物資の配分が厳しくなり、FGM-79の量産化は進まなかった。連邦空軍の政治力もこの戦争における空軍の戦果の少なさから発言力は弱まっていた。

 一方で連邦陸軍のモビルスーツ配備は遅々として進まず、戦力不足に悩んでいた。特にオデッサ攻略作戦を前に戦力を揃える必要があった連邦陸軍はこのFGM-79を運用することを決定、空軍に対してこの機体の供出を要求した。空軍は陸軍からの生産資源の供出を条件にこれを許可し、陸軍はFGM-79をRGM-79 AR、ジムエアリアルと命名し、正式採用した。
 ジムエアリアルに関しては若干の仕様変更が行われており、空挺降下することからビームサーベル装備の復活が行われたほか空挺降下後に使用する装備として陸戦ガンダムの180mmキャノンYHI-FH-X 180やハイパーバズーカを分解状態で翼下に懸架可能とした。これらの装備は空中での使用は不可能であった。
 陸軍が開発したRX-79[G]やRGM-79[G]はパラシュート降下能力を持っていたもののその生産数は少なく、空挺部隊に配備できる十分な数は確保できていなかった。よって陸軍は空挺部隊にこのジム・エアリアルを配備し空挺部隊の戦力としたかったのである。手始めに第301空挺連隊の第一大隊に32機が配備され、オデッサ作戦に向けた作戦に投入されることとなった。

空の神兵

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 地球連邦陸軍オデッサ攻略作戦において付随して行われた作戦として「メルカート作戦」が立案されていた。オデッサ作戦においてはオデッサ基地を包囲する形で戦力配置が進められていたが、クリミア半島方面の包囲に関しては進んでおらず、このまま作戦が進んだ場合クリミア半島西部の港湾拠点セヴァストポリから撤退を許す可能性があった。
 よってこの撤退を阻止し、敵の包囲殲滅を進めるためには敵の撤退路を封じる必要があった。オデッサからクリミア半島へと逃げるためにはドニエプル川を渡河する必要があった。よってこのドニエプル川を渡河して撤退するジオン軍を封じ込めるための作戦としてこのメルカート作戦が考案された。
 メルカート作戦は11月7日のオデッサ作戦実行の3日前である11月4日に空挺部隊で編成された降下部隊をドニエプロペトロフスクとクレメンチェクに展開させ、ドニエプロペトロフスクに架かるドニエプル川の橋梁3つとクレメンチェクの橋梁一つを確保、オデッサ作戦終了まで撤退するジオン兵を阻止するため橋を維持または爆破することとされていた。そして連邦地上軍が南下し追撃を加え、ジオン残存部隊を挟撃、殲滅したのちに彼らと合流することを目標にしていた。

 この降下作戦の立案はオデッサ作戦の作戦参謀のパトリック・クロスロード少将によるものであった。今まで連邦地上軍の中で冷飯を食わされてきた第82空挺師団空挺部隊のライアン・ギャビン中将もこの作戦に対し当初好意的であったが、11月4日から11月10日までの長期間橋梁を確保し続けなければならないという無謀な作戦に対しては強く抗議した。
 しかもこの橋梁に関してはジオン軍側も防衛せんと防御を固めており、特にドニエプロペトロフスク周辺、クレメンチェク周辺、さらに北部のハリコフ中心部にはジオン軍対空砲陣地の存在が確認されており、鉄橋周辺に直接降下することは不可能という結論にいたり、降下地点にはクラスノグラード西方が選定された。しかし降下地点から橋梁までは100km以上あり、空挺降下した部隊が安全に橋梁まで到着できる可能性は未知数という問題も明らかになった。
 さらに連邦軍偵察部隊の報告によれば降下地点の西方のカルロフカにおいてオデッサの外郭防衛線の一つである第278MS大隊が展開していることが確認されたが、これについても「脅威にはなり得ない」との判断が下され降下部隊に対しこの報告が行くことはなかった。

 11月4日には輸送機ミデアを中心とした輸送部隊はキエフの飛行場より第82空挺師団を搭載して出撃した。第82空挺師団の主力たる第300空挺連隊はクレメンチェク方面に展開、ジム・エアリアルを含む第301空挺連隊はドニエプロペトロフスク方面の橋梁3つを確保することとされた。
 輸送部隊は二陣に分かれ、第300空挺連隊第1大隊(クレメンチェク方面)及び第301空挺連隊第1大隊(ドニエプロペトロフスク方面)がまず先行して降下、降下地点に空挺堡(空挺部隊の降下地点に安全地帯を確保する)を築き、後続の部隊が降下することを支援するとされていた。

 輸送部隊の存在についてはミノフスキー粒子の散布により隠蔽はしていたもののミノフスキー粒子により何らかの軍事行動が行われていることは明らかになっており、ジオン軍偵察機の接触を受けた。これにより空挺部隊と思しき部隊が動いていることが確認され、ルブヌィ上空にてジオン軍ドップ32機、2個飛行中隊が迎撃に上がった。これに対し輸送部隊護衛のセイバーフィッシュ12機が応戦、それに加えて第一大隊のジム・エアリアル32機が順次展開、本来の戦闘機として運用された。このドップの迎撃によりミデア3機が撃墜され戦力を喪失したもののドップ部隊は全滅、撃退に成功した。ジム・エアリアルの損害もなくモビルスーツ12機を喪失したものの降下作戦は続行となった。ジム・エアリアルは降下地点までの200キロ余りを自力で飛行し輸送部隊に追随した。
 途中ポルタヴァ上空でジオン軍対空砲の攻撃を受けた。対空砲自体は直撃しなかったもののその弾片がジム・エアリアル一機に命中、耐弾性の低さから不時着を決断、一機が戦列を離脱した。

 ジム・エアリアル31機からなる第301空挺連隊第1大隊は予定通り降下地点に着地成功、他の部隊の降下に関しても概ね予定通りの範囲内に降下し作戦は成功した。
 11月6日には北西部クレメンチェクの橋梁を確保しに向かった第300空挺連隊は敵と遭遇することなく鉄橋周辺地帯の確保に成功した。
 一方で301連隊第1大隊については空挺降下後すぐに敵部隊と接敵、カルロフカの第278MS大隊のザク24機と交戦に至った。この交戦は降下直後の空挺部隊を襲撃したジオン側が当初優位に戦闘を進め、ジム・エアリアル複数機が瞬時に失われた。しかし装備品の重火器による火力支援もありザク19機を撃破、3機のザクを行動不能にし、残りの2機は投降した。一方でジム・エアリアルの損害は16機に及び、残存戦力は15機になったものの作戦を続行するため進軍を開始した。
 さらに第二陣の降下部隊については護衛戦闘機の数が不足していたことに加え降下部隊にジム・エアリアルがいなかったことから敵戦闘機のカモとなり半数以上が撃墜、作戦続行に対して疑問が呈された。しかし司令部はなおも作戦続行を命じた。さらに降下地点でもジオンの攻撃を受け戦力は大きく低下することとなったが、命令は依然有効であり彼らは橋梁へと向かわざるを得なかった。

 ジオン側はこの空挺降下作戦に対しその目的が明らかではないため初動の対応に遅れが生じた。一方で航空部隊による迎撃で水際防衛するという対応に関しては第二陣の損害を考えれば十分に機能したといえ、結果的に連邦軍空挺部隊の戦闘能力を大きく削いだと言える。

 ドニエプロペトロフスクの橋梁の確保に関しては小規模な戦闘が起きたものの11月7日には問題なく確保し、ここに至りジオン側も空挺降下作戦の真意を理解した。橋を奪還すべくジオン側は戦力を差し向けようとしたもののオデッサ攻略作戦の開始とともにその余裕は失われた。オデッサの陥落が明白になるとジオン軍将兵の多くは宇宙への撤退を開始した。
 ジオン軍ユーリ・ケラーネ少将麾下の部隊は友軍の撤退を支援した後、南への撤退を開始。ドニエプル川の渡河を開始しようとした。これに対し第301空挺連隊は渡河中に橋梁を全て爆破、ジオン残存部隊を川に沈めた。生き残る敗残部隊についても重火器を利用した待ち伏せ戦術により時間を稼いだ。一方で301連隊残存戦力はMS17機、そのうちジム・エアリアルの残存戦力は8機に止まっており連隊としての戦闘能力はもはや失われていた。加えてユーリ・ケラーネ少将麾下の第194重MS大隊に所属するドム10機が301連隊を攻撃、ドム6機を撃破したものの連隊の残存戦力はMS12機、うちジム・エアリアル6機と戦力の限界に達しつつあった。

 11月11日、連隊長は橋梁を全て爆破したため仮橋が架かるとしても時間稼ぎにはなると判断、通信状態の悪さから友軍の状況は不明であったが北西部へと移動しクレメンチェクの橋梁を確保している300連隊と合流することを目標に移動を開始した。12機の残存部隊であったが燃料の不足や味方航空部隊からの誤射などにより機体の放棄を重ね、最終的にクレメンチェクに到着できた戦力はMS5機、うちジム・エアリアル2機という結果に終わった。300連隊に関しても戦力の消耗をしていたが程なくして連邦軍のジオン追撃部隊と合流することに成功した。301連隊に関しては損害率90%を上回り、ジム・エアリアルを装備した第1大隊の損害率は93%という惨状でその生還はまさに奇跡的と言っていいものであった。

ウィング・オブ・ディスティニー

 ジム・エアリアルを実際に運用した結果明らかになった問題として耐弾性が低すぎるという問題があった。対空砲の弾片により撃墜された機体があることからもそれは明らかであった。戦闘機としての性能に関しても速度性能で劣り、運動性能でも劣ることから宇宙空間ほどモビルスーツの優位性が発揮できないというのも問題であった。
 この機体を回収したジオン軍側の調査報告も同様で、「戦闘機並みの軽さを実現するために徹底した軽量化が行われた結果実用レベルの耐久性を持っていない」との評価が下されている。
 一方で空挺部隊用の機材として考えれば重火器の運搬も可能で機動性に富み、パラシュートよりも安全であることは評価できるポイントとされた。しかしパラシュートよりも圧倒的に高価な飛行ユニットFP-79ネクロマンサーを毎回使い捨てにするというのも非常に非効率であり、経済性の点からパラシュートが運用され続けるという結果になった。

 ジム・エアリアルの生産機数は120機に止まり、大々的に作戦投入されたのも上記のメルカート作戦にとどまる。戦闘機としての運用についても基本的には防空戦闘機であり接敵や交戦は多くなかった。
 ジム・エアリアルの開発コンセプトはモビルスーツの戦闘機化でありそれ自体は無理のあるものであったが、同様の装備としてその後サブフライトシステムが一般化したことを考えればジム・エアリアルが目指したところは正しかったと言えなくもない。しかし当時はミノフスキークラフト技術の未熟さなどもあり純粋な航空機として開発せざるを得なかったところが大きな障壁となり、加えてモビルスーツという形態が戦闘機としては邪魔でしかないということもジム・エアリアルのコンセプトの限界と言えた。

 これらのことを考えれば、やはり技術的に革新が起こった時、駄作機が生まれるというところに異論はないだろう。

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