見出し画像

自己紹介ーだいふくとはー

Twitterやnoteのフォロワーさんが増えてきました。スキやコメントありがとうございます。体調が悪く返信が出来ない時もありますが、出来る限り返信していきますのでご理解ください。

より多くの方と交流を持ちたいと思い自己紹介の記事を書くことにしました。同じ境遇の方だけでなく、全く違う環境で育った方とも仲良くしたいです。思い出したことがあったら随時更新していきます。よろしくお願いします。

(2020.2.22、追記)

■幼稚園

物心ついたときから両親の仲が悪かった。毎日のように喧嘩をしていた。父から母への暴力は日常だった。ぼくは喧嘩が起こると隣の部屋に隠れて耳を塞いでいた。父方の祖父母が言うには朝になり幼稚園に着くたびに先生たちにしがみついて泣いていたらしい。

ぼくは先生に理由を尋ねられても何も答えなかったようだ。両親の不仲についてどう表現していいのかがわからなかったのか。あるいは大人が大声で喧嘩しているという恐怖を解放したのか。今となっては自分でもわからない。

この頃からIBS(過敏性腸症候群)らしい症状が現れる。少しでもストレスや緊張を感じるとトイレから出られなくなってしまう。また、トイレに行くのもトイレに行きたいと先生に伝えることも恥ずかしくて限界まで我慢していた。

母親はネグレクトに近い状態だった。抱きしめてもらうことも会話を楽しむこともない。話しかけたって無視される。まるで自分が家族の中にいないように扱われた。このころぼくは自分が家族に必要ないのだと知った。

母親は仕事をしていたが帰ってくるのは夜遅くだった。アルコールと香水の匂いがきつかった。休日でも一日中タバコを吸っていて相手にしてもらえることはなかった。人間として見てもらえることはなかった。

両親がいない時間は代わりに父方の祖父母が世話をしてくれた。祖父は幼稚園への送り迎えをしてくれたり一緒にお風呂に入ってくれた。祖母は洗濯をしてくれたりや食事を作ってくれた。積極的に話しかけてくれる優しい人たちだった。

父親からは暴力を振るわれていたらしいが記憶がほとんどない。祖父母からのちに聞いた話である。父親はいつも怒っているような人だった。酒やタバコをやめることはなかった。不機嫌になると小さいぼくを外に聞こえるほどの大声で怒鳴りつけていたのは覚えている。

幼稚園では同じ組の男子にいじめられる。持ち物を奪われたり壊されたり殴られたりしていた。父親に一方的に暴力を受けていたせいかその子にやり返すことができずやられるがままになっていた。大人になってからも彼の顔や名前をはっきりと思い出せる。それほどトラウマだったらしい。自分でもよくわからない。

■小学生

小学校低学年になると父親からの暴力は悪化したらしい。これもうっすらとは覚えているが記憶が曖昧になっている。いつの間にか身体に痣ができたり傷痕が残っていることはしょっちゅうあった。

両親からは常に成績について責められていた。ぼくのためではなく自分たちが褒められたいからだ。塾やスポーツクラブに入会させられる。嫌だという気持ちもあったが両親から逃れられるという意味では嬉しかった。

これを言うと必ず「誰かに相談すればよかったじゃん」「なんで誰にも頼らなかったの」と言われてしまう。しかし、この当時そこまで虐待に対して世間が大きく扱うことはなかった。悲しい事件があったんだなくらいのことだった。

また両親には常に「教育」や「躾」という盾があった。他人に何かを言われたところでこれがうちのやり方だと言われれば誰も言い返せない。教育、躾、虐待、暴力などの境界がはっきりとはしていなかったからだ。

インターネットもまともに普及していない。自分で逃げる方法や誰かを頼る方法を見つけることなど出来なかった。そもそもそういう選択肢があること自体を知らなかった。檻の中で静かにしているしかなかった。

幼稚園でいじめられていたため小学校ではいじめられるのが嫌でみんなの前では明るく振舞っていた。この頃から明るい自分、親の前で怯えている自分、先生に従順で素直な自分など多くの自分を使い分けるようになる。そして誰が本当の自分なのかわからなくなる。

みんなの前で明るく振舞っていたせいか周りの人から見たら楽しい小学校生活を送っていたように見えたと思う。自分でもここまで学校生活に順応できるのかと驚いた。しかし実際は嘘で繕っただけなのでボロが出ないように必死で自分を隠していた。

小学校生活も後半になってくると両親からの暴力をはっきりと認識するようになった。ここで書くべきかどうかわからないのでもし機会があれば別の記事で書こうと思う。

小学校生活でなぜか印象に残っていることがある。同じクラスにいつも明るい友人のことだ。小学校三年か四年のとき彼の家に行った。和室の仏壇の前に若い男性の遺影があった。誰なのか尋ねると彼の父親だと言っていた。父親は彼が小さい頃に亡くなったそうだ。彼の家庭では母親がシングルマザーで彼を育てていた。それを聞いて彼の家で泣いてしまったのを覚えている。

■中学生

父親からの身体的暴力は徐々に無くなっていった。一方で成績についてより厳しく責められるようになった。母親は勉強や身だしなみなど外見に関しては過干渉であったが他のこと(ぼく自身が何をしたいと思っているかなど内面的なこと)については全く無視するような人だった。

必死に勉強しつつも友人たちの輪から孤立しないように流行を追いかけていた。テレビも見ていたしゲームもやった。でもそれはテレビを見たいから見ていたわけではないし、ゲームをやりたいからやっていたわけでもない。ただ友達から孤立したりいじめられたりしたくないからだ。

父方の祖父母が亡くなる。精神的な支えがなくなる。絶望に近い状態だったが、あまりにもショッキングな出来事だったためほとんど記憶がない。毎日どう過ごしていたかわからない。ここだけ抜け落ちているような感じだ。

初めて恋愛をする。精神的な拠り所を求めたのかもしれない。しかし、愛情表現が出来ずにうまくいかなかった。この頃からだんだんと受け入れてもらえないことに対する恐怖が強くなっていった。

家族だけではなく他人もまたぼくを受け入れてくれなかった。周りを見渡すと表面的にぼくを仲間と思ってくれている人たちはいたけれど本当にぼくを友達だと思ってくれている人はいなかった。

あるとき父親が会社の女性と浮気したことが母親にバレた。それから日を増すごとに喧嘩は激しくなっていった。ぼくは自分の部屋にこもりながら二人の喧嘩を聞くことしかできなかった。

数日後、母親は家を出て行った。父は腹の虫が治らないせいかずっと不機嫌なままだった。ぼくはなるべく父に近づかないようにして生活していた。母はしばらく経ってから帰ってきた。二人の間で話し合いがついたようだった。

■高校生

私立の男子校に入る。父親は成績や模試の結果についてしつこい程に厳しくなった。父方の祖父母が亡くなってからより横暴になっていったような気がする。

母親は相変わらず部分的に過干渉だった。学校の先生や周りの生徒たちから成績の良さや生活態度などを褒めてもらうことだけが求められた。

ぼくがぼくの意思で何をしようとしても母親が横から口を出してくる。母親の意図していないことをすると激しく怒り出す。出てくる言葉は人格否定や屈辱的なものだった。

恋人なんて作るべきではない。友達と遊んでいる暇があるなら勉強しろ。お前と遊ぶようなやつなんてろくなやつじゃない。お前に勉強以外何ができるんだ。不細工なのはあいつの子供だからだ。育ててやったんだから感謝しろよ。親の言うことも聞けないのか。親不孝ものだな。お前なんて生まなきゃよかった。

両親は不仲であったが子供の支配に対しては協力的で母親に何か言い返そうとすると父親が出てきて支配に加わった。もちろん暴力で制圧された。何も言い返すことができずにただ罵倒されるしかできなかった。

それでいて母親が興味のないことについてはほったらかしにされていた。親が書かなければいけない書類を渡しても書いてくれることはない。仕方がないので自分で書いて学校に提出していた。

男子校に入ったことと大学入試が控えていたために恋愛や遊びなどする時間がなくなった。精神的にも身体的にも限界が近かった。IBSの症状も今までの人生で一番ひどくなった。布団に潜って毎日のように泣いていた。SNSなどやっていなかったし、友人も少なかったので相談できる相手がいなかった。

人生で初めて精神科を受診した。特に診断が下るわけでもなくカウンセラーを紹介された。今思えば一回の受診で病名は決められないのだから当たり前かもしれない。これ以降、精神科を受診することはなくなった。

精神科を受診しなくなった理由は三つある。一つは自分の性格から考えて何かしらの薬を処方された場合、その薬に対する依存から抜けられないと考えたからだ。

進むも地獄、退くも地獄というべきか。薬を飲んで症状が和らいでも依存から抜けられない。薬を飲まなければ精神はつらいままだ。どちらにせよダメになることに変わりはない。ぼくは後者を選んだ。

二つ目は新しい病名が付けられることが恐いからだ。自己肯定感や自尊心のような自分を自分で支える力がないため、これ以上自分を否定する要素が加わってしまうと自分が壊れてしまうと思った。病名が付くということは自分がダメな人間であるということの科学的な証明になってしまう。それを避けたかった。

三つ目はカウンセラーとの会話が無意味だったからだ。こちらが述べたことの単調な繰り返し、興味の無さそうな態度、目的のわからない質問、上っ面の頷き、やる気のない同情を感じた。

ぼくには普通の人よりも人間の心を多く読み取ってしまう癖があるのかもしれない。親や先生たちに気に入られようと相手の考えていることを読み取ろうとしてきたからだろう。少なくともこのカウンセラーの態度は許せなかった。二度とカウンセリングなど受けるものかと思った。

■大学生

おそらく下の方の成績で東京大学に入学する。親からは大学に入ってからも成績について厳しく言われ続けた。バイトや就活などはさせてもらえず大学院に入るように言われる。

大学に入って最初の夏休みはあまりにも精神的に疲労していたので何もできずに冷房の効いた暗い部屋でずっと寝ていた。周りの人たちは資格を取るための勉強や旅行などに出かけているのが悔しかった。体が重く夜中に起きて活動し、朝になったら寝るという生活をしていた。

この夏休みの終わりになってやっと体力が回復し始めたので大学院に入ることを目標に勉強を始める。再び勉強に追い詰められる日々を送ることになる。

この頃から明るい自分を偽ることに疲れて来る。誰かのために自分を繕うことに限界が来ていた。そろそろ自分が破綻すると思った。支えが弱すぎてボロボロと崩れるように自分が消えていくような感覚があった。

何に対しても無関心になった。お笑い番組を見ても笑えなくなった。笑い方がわからなくなった。食べ物の味もわからなくなってきた。食事量が減った。美味しくない。何を食べても味のしないプラスチックや雑巾を噛んでいるようだった。咀嚼することが気持ち悪くなった。

楽しみなことや趣味のようなものが全くない。ストレスの発散方法がわからなかった。運動も体が重くてやる気になれなかった。ひどい時は一日中寝ていて天井を見つめることしかできなかった。

友達がいなくなった。元々みんなとの関係は脆いものだと思っていたので仕方がなかった。友達から知り合いくらいの距離感まで遠ざかっていった。自分が保てなくなった。周りから誰もいなくなったような気がした。

多少は遊ぶ時間が出来たが、少数の知人としか関わらない日々を送った。何もできずに四年間を過ごした。四年間で得たものは少ない。多少は勉強ができるようになったくらいだろうか。

■大学院生

そのまま東京大学の大学院に進学する。研究が忙しくなる。遊ぶ時間がないわけではないが遊んでいると不安に駆られてしまうので研究ばかりの日々を送る。もちろん研究室で友達と呼べるような存在はいない。上辺だけ仲のいい競争相手だ。

親の干渉が弱くなった一方でどうやって自分の存在を保てばいいのかわからなくなる。親に甘えていたからだろ、と言われればその通りかもしれないがほとんど支配に近い状況だったと言い訳したい。だからいい歳しても誰かに頼ると言うことがよくわからない。

そんな生活の中で起業して自分の会社を持つという目標に出会う。きっかけは高校時代の数少ない友人が起業するという話をしていたことだった。誰からも束縛されることなく自分のやりたいことがそのまま仕事に直結する可能性があることから起業の魅力に惹かれる。

それから多くの出会いや大学などが開催するイベントを経験して起業の決心を固める。東京大学のスタートアップ支援だけでなく多くの企業や事業家による支援講座、海外の大学(Stanford大学:Start X、Oxford大学: OxfordFoundry、Toronto大学:ON Ramp、MIT: MartinTrust Centerなど)が開くプログラムなどに参加受講した。ちなみにどれも高校時代の友人が誘ってくれたものだ。

イベントの中で出会った起業家たちと交流する中で彼らが同じマインドを持っていたことに驚いた。コミュニケーション術、インプット-アウトプット法、考えていることを現実レベルにまで引き上げる実行力のどれにも共通した軸がある。これらについては時間のある時に記事にしていきたいと考えている。

起業するということ以外にも多くのことを学んだ。彼らが話す内容は決して難しい経済論ではなくむしろ誰にでも理解できるような夢だった。彼らが成功する理由はこの簡潔さにあるのだろう。これについても今後記事にしていく予定である。

■今後の目標

大学院を卒業したら就職して数年から十数年は社会経験を積みたい。そこからある事業について起業すること(どういう事業かは今のところヒミツ)を計画している。そうなるまで生きていればの話だが。

あと、ぼくと同じような環境に生まれた子供たちにきちんとした教育を行う場を作りたいとも思っている。子供にとっては鉛筆を持って勉強することも大切だが色んな人と会話をすることでコミュニケーションを円滑にできるような能力を養う場も必要である。

小さいころに親とのコミュニケーションがうまく行かなかった子供は大きくなって対人関係で悩むことが多い。自分がおかしいのではなく親の方が異常であると気付くのにはかなりの時間が必要だからだ。

そういった子供たちに小さいころから人と関わることの楽しさを学んでもらえるような環境を作ることができればいいなと思っている。きっとそれによって救われる子供はたくさんいるだろう。

■最後に

今まで誰にも自分の人生について話したことはありませんでした。話したところで生活環境の違う人たちには理解してもらえないからです。せいぜい「頑張ってね」「大丈夫?」程度の言葉が返ってくるだけでしょう。

常に人格を否定されて生きてきました。だから誰かに認めてもらったり褒めてもらうことすらも否定の言葉に聞こえてしまいます。もちろん相手に悪気がないことはわかっていますが、反射的に攻撃を受けていると感じてしまうのです。

家族や友達の話になっても「うちの家族は仲がいい」「この前友達と遊びに行って楽しかった」と嘘をついて生きてきました。嘘で自分を誤魔化さないと自分が保てないし怖い記憶が鮮明にフラッシュバックするからです。騙してごめんなさい。どうしても現実を現実として受け止められない自分がいます。

自分の中で記憶が抜けている部分や曖昧な部分は悪い夢を見ていたような感覚があります。言われてみればそういう夢を見ていた気もするなと思うくらいのことです。自分の中に怖い記憶に蓋をしている自分がいます。

その自分が自分自身を守っていて、近付こうとすると嘘ではぐらかされてしまいます。嘘はあたかもリアルな記憶だったかのように感じ、その嘘を本当の思い出のように語ることがあります。ですが、それは現実ではなく現実を隠すためのカモフラージュです。自分でもどちらが本当の記憶なのかわからなくなります。

また、東大に通っていると言うとみなさんはテレビで見るような華やかな生活をイメージするのでしょう。才能や機知に富んだ人ばかりだと思っているのかもしれません。ですが、現実にはこういう人間もいるということを理解してもらいたいです。

東大に通っていながらこういうネガティブなことを書くと「贅沢をいうな」と叱られてしまいます。「才能があるのにもったいない」と批判されることもあります。悲観的なことを書くと誹謗中傷されることもあります。でも事実なので変えようがありません。

こんなダメな人間ですが、受け入れてくれると嬉しいです。

この記事が参加している募集

推薦図書

自己紹介

この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?
気軽にクリエイターの支援と、記事のオススメができます!
note.user.nickname || note.user.urlname

いただいたサポートはnoteの記事を書くために必要な本や資料などを買う購入費として使用します!!もし気に入っていただけたならサポートお願いします!!!

ありがとう!!
654
某私立男子高校→東京大学→東京大学大学院(専門:理学、工学) / みんなのnoteを読むのが好き /相談のある方はTwitterまでお願いします。

こちらでもピックアップされています

日記
日記
  • 429本

思いついたこと、体験したこと、気になったことなどを書いていきます。

コメント (46)
初めましてだいふく@HSP IBSさん!まだnote始めたばかりで2日目の記事で初めてのスキ!めっちゃ嬉しいです💕ありがとうございます!それに加えて、お名前にHSPと入っていて仰天しましたよ。私もHSPです。参考になりそうなのでフォローさせていただきますね。
しっかりと味わって読みたくて、後回しになってしまいすみません。やっとプロフィールを読めました。重要なこと、大きなものを後回しにする私の悪い癖ですね。
両親の仲、親の過干渉、自分の自尊心を満たすための子供への躾や成績へのこだわり、いじめ、自己肯定感の低さ、HSP。支配からの解放による依るべなさ、etc....わかること一杯です。
私は子供時代から、周りと違うHSPの性質が恥ずかしい物と思い、できるだけ多数派の人と同じフリをしてきました。一見するとわからないようで、ある意味器用だったのかもしれません。今でもその癖が抜けず、どこまでが本当の自分なのかも境目がわからなくなっています。がHSPの過敏さはあるし、自分軸もはっきりせず。疲労感で異常に睡眠が長かったりします。
人生の振り返り、記憶を引き出すのは大変ではなかったですか?私はどこから初めていいかわからずプロフィールが未だに書けません。風化してしまった部分もあります。今は適当な呟きがプロフィールになってます。笑。長文失礼いたしました。
体調などあると思いますので、こちらへの返信はご無理なさらずに。。


ダイフクさん、初めまして。
‪♥︎ありがとうございます。
この記事を読んで、私の過去と少し似ていて、それでいいね下さったのかなぁと思いました。自分の意思を否定される環境、親が成績が良く礼儀正しい「できた子」であることを強いてきたこと、内面には興味を持たれなかったこと、人間関係が希薄なことなど、同じ気持ちを抱えた方がいると知ることができて嬉しかったです。
私は立ち止まってしまっているけれど、目標を見つけられた大福さんに励まされます。これからも記事を拝見させてください!
おはようございます
お名前と雰囲気から、娘を助けてくれたひとかなーとか思って読んでました
私は年かさで母親(ひでえだめ母だけど)なので、もし、あなたさえよかったら、心でハグさせていただきます
ただ素直に抱きしめられてやるぞ
という時には思い出してください
殴る蹴るされた過去はあるの
でも自己過信と自己憐憫で生き延びてきてしまったわ
そういうとこ馬鹿はタフよww

娘の恩人でないのは承知で
お礼を言います
ありがとう
そしていつかご恩返しもさせてくださいね
スキもありがとう
良い一日をね!
コメントを投稿するには、 ログイン または 会員登録 をする必要があります。