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どうして「有益な情報」を書こうとするのか?

noteもそうだけどブログ形式で書き物をするときどうしてか有益な情報を書かないといけないと考えている人がいる。

誰かにとって有益なのだからそれ以上のことはないのだが、有益な情報を書くというルールを宣言してからそれが続かなくなるまでが短かったりする。

するとせっかく読み始めたのに残念な気持ちになってしまう。

無理してまで書く必要はないから本人を責めたりするつもりは全くない。他人に責められる筋合いもない。

こちらが勝手に好きになって勝手にフラれただけなのだ。

だから続けなければならないわけでもないし、二、三の有益な情報を残して完結するというのもありだろう。

だがせっかく始めたのだからせめて三日坊主というのは避けたい、というのは書き手も読者も思っていることではないだろうか。

ぼく自身も誰かから見たら有益な情報となるような話を書いているのかもしれないが少なくとも自分では有益であろうとは思っていない。

ただ書くというそれだけに焦点を絞ってやっている。

だからこそ続けられているのかもしれない。別に続けなければならないこともないし、続けたいとも思わない。いつやめたっていい。

有益でなければならないとも思わないし、無益ではいけないとも思わない。

そんなぼくからすると、何かのルールを作ってそれ通りにやるのはかなりの根性が必要になるように思えてしまう。

あらかじめ走るコースを決めて、それに沿って一定のスピードで走り続けるマラソン的な書き物は、よほどそれに慣れた人でなければ難しい。

というのも、走り出した時のペースが自分のマラソンにとって早いのか遅いのか分からないからだ。

続かなくなる人はたいていスタートダッシュが速すぎて体力がなくなっていきやがては失速して、マラソンを途中棄権することになる。

三日坊主になる人も同じようなものだ。何かをやろうと思い立ち意気込みのままにやろうとするから続かなくなる。

その意気込みはルールを宣言することによってスタートが切られるのだが、それはスタートしただけであって、やがては自分のルールに苦しめられていく。

人によってはルールを変更して長距離が短距離になり、マラソンが散歩へと変わっていく。それでもいいのだが自分への失望は避けられないだろう。

これは「自分が何をしたいか」だけに焦点を当て「自分はどれくらいできるのか」を視野に入れないために起こってしまう。

可能性だけを見て限界を知ろうとしないのは自惚れやナルシシズムの表れである。

頭の中には理想の自分がいて、それはみんなから注目されるような人物であったり、満足できる結果を残している自分なのだろう。

だが現在いる地点と遠くのまだ見えぬ地点を直線で結ぶのは短絡というほかない。

その短絡的な経路がまさにルール決めなのである。

本人からすればルールを決めることで自分が達成しようとしている目標の大半をすでに終わらせたと勘違いしているのだ。

だがそのルールに沿ってコース通りに一定の結果を出していくのはそれが保証できるような過去を持っている人でなければかなり難しいのだ。

本人からするとルールを作った方が書きやすいと感じるだろう。

だが、実はそのルールが後々になって自分を束縛し、自由な書き物が出来なくなってしまうことがある。

スタートダッシュに力を入れすぎて「とにかく有益でなければ」と頑張って調べ物をして頭を使って書き起こしていくと案外これが疲れるのだ。

それでも自分が宣言したことだからと頑張ってみるものの、やはり体力の限界を迎えて、後悔とも言い訳ともつかない言葉を最後に消えてしまう。

自分で自分の責任を放棄するのが恥ずかしいのだろう。その気持ちは分からないでもない。

文学について、難しい小説をどう理解したらいいか、どうやって文章を書けば良いか、他の作品と比べてどのような価値があるのか。

受験について、どの参考書を当てにして勉強するのが良いか、どのようにして勉強すれば学習内容が身につくのか。

自己啓発的な話について、日頃から明るくいるためにはどうすればいいか、メンタルの安定はどのように得られるのか、人間関係とは何か。

このような「有益な書き物」をしていて、成功を収めているという人は、その道にそれなりに長けており、自分に何ができるかの限界を知っている人だ。

大学で文学を学んでいるからといってブログにも文学についてを書くとなると一日中勉強しているような気分になって息がつまるだろう。

つらい人生を歩んできたからとそればっかりを書こうとすると言葉が乱れて何を書きたいか、何を書くべきかが分からなくなっていくだろう。

「有益な情報」を書きたくなるのは、何か使命感のような気持ちに駆られるからであろうか。

しかしブログを書くのにそこまで意気込んでも続けられなくなるのなら意気込みなんてものは捨ててしまった方がいいのではないか。

何かのルールに則って書き物をしている人たちの魅力的なルールは、あらかじめあったのではなく、書き続けるうちにそのルールが定まってきただけだ。

例えばスポーツにしたって、ルールがあってそのスポーツが始まったわけではない。

最初は遊びのつもりで蹴っていたボールの転がりがやがてサッカーへと変わっていくのであって、最初から現在のようなルールがあったわけではないだろう。

こうでなければならないというルールを決めずに初めてみて、有益な情報に限らず書きたいことを書き、やがてそれが本人のやりたいことに一致していくのが、自然に続けられるコツなのだと思う。







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